■御堂筋の由来となった両寺院

 淀屋橋の次の駅が本町駅。大阪屈指のビジネス街であり、やはり休日は人影が少ない。本町駅の2番出口を出てすぐにあるのが、御堂筋という名称由来の1つである本願寺津村別院、通称北御堂である。

北御堂山門

 1591年、天満にあった天満本願寺が京都へ移転すると、大坂の門徒宗が翌年に集会所を開設。これが津村別院のはじまりで、1597年に現在の場所に移転されている。

 北御堂を御堂筋に沿って南下し、中央大通を越えたところにあるのが真宗大谷派難波別院、通称南御堂だ。

南御堂正面

 山門は上部にホテルも入る17階建てのビル(南御堂ビル)になっていて、かなり近代的な外観となっている。

 1595年に建立された大谷本願寺を創建とし、現在の場所に移ったのは3年後のこと。1602年に大谷本願寺が京都へ移転(東本願寺)したあと、難波別院が設けられた。

 この両御堂別院を結んだ道路が御堂筋だ。ただし昭和初期までは、現在のように梅田から難波までをつないではいなかった。長さは長堀川(現長堀通)までの1.6キロ、道幅も6メートルほどで、堺筋や心斎橋筋にくらべて人通りの少ない道路だったようだ。

 そんな一般的な道路が大動脈といわれるほどに延伸し拡張したのが、第7代大阪市長に就任した関一(せきはじめ)である。

―次回へつづく―