■神宮丸太町駅から京都御苑へ

 2024年度のNHK大河ドラマ「光る君へ」も佳境に入り、まひろこと紫式部と藤原道長の動向が気になるところである。そんな式部と道長にまつわる史跡が、京都御苑の敷地内や東側にはいくつか存在する。

 京都御苑とは京都御所を中心とした区域で、明治維新までは公家たちが暮らしていた町だ。広さは東西約700m、南北約1300mで、ディズニーランドとディズニーシーを合わせた面積に匹敵するという。

 京阪鴨東線の神宮丸太町駅は、そんな御苑の最寄り駅の1つ。駅からは徒歩約7分。距離にして約500mの場所に位置している。

 三条と出町柳の途中駅である神宮丸太町は、1989年の鴨東線開通と同時に開業。当初は丸太町駅だったが、2008年に現役名に改称している。特急や快速急行は停まらないので、大阪方面からだと三条で乗り換える必要がある。

 神宮丸太町駅を上がって鴨川を渡り、丸太町通を歩くと木々に囲まれた京都御苑が見えてくる。御苑の東に沿った通りが寺町通。御池通や三条、四条通界隈の寺町通はにぎやかな繁華街だが、この辺りの雰囲気は閑静だ。

■法成寺址から土御門第跡へ

 寺町通を北に進むと、見えてくるのが府立鴨沂(おうき)高等学校。1872年に開校した名門校で、正門は九条家の河原町邸から移設されたもの。

鴨沂高校の正門

 和風建築の要素も取り入れたモダンな校舎も特徴的だ。

鴨沂高校の校舎

 校舎の北側には荒神口通をはさんでグラウンドがある。そしてグラウンドの塀とフェンスの間に立てられているのが法成寺(ほうじょうじ)址の石碑だ。

法成寺址の石碑との説明パネル

 法成寺は1120年に藤原道長が創建。その規模は南北約360m、東西約240mにもおよんだとされる。晩年の道長は境内で暮らし、阿弥陀堂にて生涯を終えている。

 ふたたび寺町筋に戻って進み、明治維新に貢献した三條實萬・實美父子を祀る梨木神社の前を通って清和院御門から御苑の中へ。すこし歩いた場所に駒札があり、土御門弟(つちみかどどの)跡と記されている。

「第」とは邸宅のことで、源倫子と結婚した道長はここで暮らしていた。道長の娘彰子は後一条天皇と後朱雀天皇をこの屋敷で出産し、彰子の妹の嬉子も後冷泉天皇を産んでいる。「欠けたることもなしと思へば」で有名な望月の一句も、土御門第の酒宴で披露されたものである。

土御門第跡の駒札