■いにしえから残る由緒ある地名
泉北高速線の泉ヶ丘駅の次は栂・美木多駅。栂は「とが」、美木多は「みきた」と読む。
泉北高速線が計画されたときは栂駅として開業する予定だったが、駅が美木多地区の檜尾(ひのお)に位置するため、地元住民から美木多駅にするよう要望が出る。これに対して上神谷(にわだに)地区の栂の住民が反発。難航した調整の結果、現駅名に決まったという経緯がある。
ちなみに、上神谷は天照大神が降臨したとの伝説があることから古代より「上神郷」(かみつみわのさと)と呼ばれ、「みわのさと」が「にわのさと」となり、「にわのさと」の谷で「にわだに」になったという。
泉北ニュータウンは新しい町だが、人も住まない土地が造成されたわけではない。栂という地名は室町時代から見られ、美木多は平安時代から見られる「和田(にきた)」が「みきた」と呼ばれるようになり、1889年に大森・上・檜尾・別所の各村が合併した際、美木多の字があてられた。
つまり、ニュータウン自体は戦後になってつくられたが、すでに近辺には歴史のある集落が存在していたのだ。
■古い屋敷が点在する集落
栂・美木多駅のホームは地上にあり、線路は泉北1号線という幹線道路にはさまれている。泉北1号線のニュータウン内はほとんど交差点や信号がなく、道路からはずれるには側道を入らなければならない。歩行者や軽車両の通行が禁止されているも、一般道なので制限速度は60km。ついついアクセルを踏みがちになるが、注意が必要だ。

地域には堺市南区役所、堺市立栂文化会館、大阪府南堺警察署などがあり、堺市南区の中心地であることがわかる。しかし、駅の乗降客は泉北高速線の中で最少。駅前は閑散とした印象がある。
駅近くにはマンションや団地が建っていて、「これぞニュータウン」といった雰囲気だ。

しかしニュータウンエリアから離れると、屋根に屋号を示した古いお屋敷が増えてくる。

かつては農村地帯だったことをほうふつとさせるたたずまいである。