■近鉄最古の古市駅から富田林駅へ
長野線の前身である河陽鉄道は、柏原駅~道明寺駅~古市駅の区間で1898年に開業。1か月後に富田林駅まで延伸されている。
現在、柏原~道明寺間は道明寺線として存続しており、これは近鉄の路線では最古。古市駅は道明寺路線ではなくなったが、厳密にいえば近鉄路線で柏原~古市間が最古ということになり、駅の開業も柏原・道明寺・古市がもっとも古い。
その古市駅を出て、次が富田林市の貴志駅。その次が富田林駅だ。
富田林市内には6つの駅があり、そのうちの1つである滝谷駅は南海高野線。残りは長野線の貴志、富田林、富田林西口、川口、滝谷不動で、高野線の金剛駅は所在地こそ大阪狭山市だが、東出口のロータリーに隣接する道路から東は富田林市域に位置する。
これらの駅の中で、富田林市の中心駅が富田林駅。旧市街地の玄関口である。
■戦国時代に整備された富田林寺内町
富田林は戦国時代に寺内町として整備され、江戸時代には高野街道や石川水運による流通の中核地として発展。明治時代には郡役場や税務署、旧制中学校、高等女学校などが整備され、南河内の中心となった。
寺内町とは、寺を中心として整えられた宗教自治都市のこと。16世紀半ばに、京都興正寺第16世証秀上人が富田の荒地を購入して興正寺別院の御堂を建立。上人の指導のもと、近隣4か村の庄屋株が中心となって築き上げられたのだ。
そして、当時の面影が、いまも富田林寺内町には残されている。
現在の富田林興正寺別院は、ほとんどが江戸時代に再建・建立されたもの。
本堂は1638年に再建され、戦国時代の終わりから江戸時代初期につくられたと考えられる山門は、1858年に移築されたことが判明。これらに加え、対面所(書院)、鐘楼、鼓楼、御成門、築地塀が国の重要文化財に指定されているが、やはり江戸時代に建立・移築されている。
寺内町最古の町家である旧杉山家住宅も、江戸時代初期の建築物とされる。
つまり、いまの寺内町に戦国時代の建築物は残されていない。しかし、街並みに目を移せば話は変わる。
東西約400m、南北約350mの寺内町は、興正寺を中心に六筋七町(のちに六筋八町)に町割され、その区画はほぼ原形をとどめている。また、街路を直線にせず遠望をさまたげる「あてまげの辻」も現存。
これは敵が進入してきた際、侵攻を鈍らせる役目を担ったのだ。
そのほかにも、排水路である「用心堀」の一部や断片的ではあるが、町を囲った「土居」の跡も残されている。
この貴重な景観は、1997年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。