奈良市内では、広い敷地を生かした建築ができないという。その理由は、掘れば何かが出てくるから。この「何か」とは遺跡のことである。同じ悩みをかかえるのが京都市で、そのために地下鉄を延ばしたくても、なかなかそうはいかないらしい。
■古都の地下鉄が抱える悩みとは?
京都市は、日本で初めて路面電車(市電)の走った街だ。そのきっかけとなったのが琵琶湖疏水。疎水とは土地を切り開いてつくった水路をいう。この琵琶湖疏水で引き入れた水を利用して電気を起こし、その電気を活用したのが市電なのだ。
市電は京都市内を縦横につないだが、モータリゼーションの発展で邪魔者あつかいされる。代わりに計画されたのが、バス路線網の拡充と地下鉄の開業だ。
京都を訪れた人ならご存じだろうが、やたらバスが多い。ダイヤが10分に1本という路線はざらで、系統が重なる停留所ではバスの渋滞が起きるほどだ。そのため、京都市内の道路は、バスが「そこのけ、そこのけバスが通る!」と、かなり大きな顔をして走っている。
ただ、バスは運べる乗客の数が少なく、タクシーや一般車両の通行の妨げにもなる。道路の状況によっては、到着に遅れが生じてしまう。それらを解消するためにも、地下鉄の敷設が急がれた。
1978年に市電が全廃され、3年後には地下鉄烏丸線が開業。東西線は1997年に開業する。当初、烏丸線は北大路駅から京都駅間、東西線は醍醐駅~二条駅間での開業だったが、1997年に烏丸線、2008年には東西線で現在の形が整う。これらの路線はさらなる路線拡張も計画され、太秦天神川駅から阪急上桂駅と洛西ニュータウン駅を経由して阪急長岡天神駅まで、烏丸線は竹田駅から油小路を通り、三栖か横大路駅につなげる予定だった。これらの案は近畿地方交通審議会で答申されており、さらには国際会館から岩倉駅をつなげる構想もあがっている。
だが延伸計画は、まだ実行はされていない。理由は、京都市交通局の財政難と冒頭に記した遺跡の発見だ。遺跡が見つかると、調査が終わるまで工事を中断しなければならない。もし、歴史的価値が大きなものならば工事計画の変更も余儀なくされる。京都の地下鉄がかなり深い地下を走っているのは、遺跡をよける目的もあるのだ。地下鉄の沿線にも観光名所はあるものの、金閣寺や銀閣寺、清水寺といった有名どころは駅から遠く、嵐山や伏見は路線すら通っていない。バスを利用したほうが便利だが、観光シーズンになると到着しても満員で乗れないことがある。地下鉄とバスで併用できる1日乗り放題券は1100円、バスだけなら700円(いずれも大人料金)。この料金が高いか安いかは移動する距離にもよるが、バスが優位な立場にあることは間違いなく、まだまだ大きな顔をつづけるのは想像に難くない。
1981年に開業した烏丸線は、1988年に京都駅~竹田駅間、1990年に北山駅~北大路駅間、1997年に国際会館駅~北山駅間と順次延伸。東西線は2004年に醍醐駅~六地蔵駅間、2008年には二条駅から太秦天神川駅まで延ばされた。なお東西線では、すべての駅にフルスクリーンタイプのホームドアが設置されているため車両の撮影は難しい。