■ 蔵屋敷が立ち並んでいた中之島
江戸時代、大坂は経済の中心地であり、全国からのコメや特産物が集約するようになる。これらを保管・販売するための倉庫兼屋敷が「蔵屋敷」だ。大坂の蔵屋敷は中之島を中心として建てられ、その数は最盛期で120以上におよんだともいわれている。
琵琶湖から京都を通って大阪に流入した淀川は、毛馬水門で南に分岐されて大川(天満川)となり、大川はさらに堂島川と土佐堀川に分流する。この堂島川と土佐堀川にはさまれた中州が中之島である。
中之島の南側を東西に結んでいるのが「京阪中之島線」だ。営業距離は3km。すべての駅が地下駅となっており、駅の数は天満橋、なにわ橋、大江橋、渡辺橋、中之島の5つ。中之島駅を除いた駅の名前に、すべて「橋」がついているのも特徴といえる。
今回は、蔵屋敷跡や近代建築が点在する中之島沿線を歩いてみた。
■なにわ橋駅から佐賀藩蔵屋敷跡まで
1963年に淀屋橋駅が開業するまで、京阪本線のターミナルであったのが天満橋駅。ここからなにわ橋駅までは約3分で到着する。なお、なにわ橋から本線の北浜駅までは徒歩で約3分。北浜駅に行くまでに渡る「難波橋」が駅名の由来だが、南海や地下鉄などの「難波駅」とまぎらわしいことから、ひらがな表記になったという。
なにわ橋駅から地上に上がって、すぐの場所に立つのが大阪市中央公会堂だ。
「北浜の風雲児」と呼ばれていた相場師・岩本栄之助の寄付によって建設されたもので、1918年に完成。2002年には国の重要文化財に指定されている。
その前を通って堂島川に架かる「鉾流橋(ほこながしばし)」という橋を渡れば、神社もないのに鳥居が立っている。鳥居のある場所では、天神祭の「鉾流神事」が行なわれるのだ。
鉾流神事とは、地元の小学生から選ばれた神童が小舟に乗って神鉾を流す行事をいう。もともと天神祭りは、この神鉾の流れ着いた場所を御旅所として渡御行列が行なわれていたのだ。
鉾流橋から西に歩くと大阪高等裁判所があり、その前には「佐賀藩蔵屋敷跡」の石碑が立っていた。