■ ヤマト王権を二分した内乱跡
近鉄道明寺線の柏原南口駅は、大阪線の安堂駅と距離にして約400mしか離れておらず、柏原駅も大阪線堅下駅と同程度の距離であり、JR関西本線の柏原駅に乗り入れている。つまり道明寺線は南大阪線と大阪線、関西本線を結ぶ役割を担っている重要な路線なのだ。
道明寺駅から柏原南口駅まで道明寺線は石川に沿って通じていて、柏原南口駅の手前で大和川に架かる新大和橋をわたる。
すなわち、西から流れてきた大和川と南からの石川は、柏原南口駅と安堂駅の近くで合流している。そして、2つの川の合流地点は、1400年前にヤマト王権を二分する内乱が勃発した場所でもある。
6世紀半ばに仏教が日本に公伝したころ、これを受け入れようとした蘇我氏と認めようとしなかった物部氏が対立。確執は内乱にまで発展する。それが587年に起きた「丁未の乱(ていびのらん)」だ。
物部氏の本拠は現在の八尾市にあり、ヤマトから攻め入る蘇我軍を迎え撃とうとする。両者が最初に激突したのが、大和川との合流地点だとされている。
この戦いで蘇我軍は勝利を納め、物部氏の宗家は滅亡。蘇我の軍勢には厩戸皇子(聖徳太子)などの皇子も加わっていて、太子は勝利を祈願して寺院の建立を誓う。その結果、建てられたのが日本で初の官寺とされる「四天王寺」だ。
ただ、丁未の乱は「崇仏派 vs 廃仏派」と捉えられがちだが、本当のところは、古くから天皇家に仕えていた物部氏と新興勢力の蘇我氏との権力争いだとする説が有力だ。