■古代には1000基以上もあった土器の窯
このように泉ヶ丘駅界隈は、ニュータウンとしてつくられた歴史の浅い街だ。人が住みはじめたのも、まちびらきを終えた1967年以降――と思いきや、そう一筋縄ではいかないのが泉北高速沿線のおもしろいところ。
駅から徒歩約10分のところに大蓮公園があり、ここには2016年まで堺市立泉北すえむら資料館(元大阪府立泉北考古資料館)が設けられていた。これは公園の周辺に広がる須恵器という土器の窯跡から出土した遺物を収蔵展示していた施設だ。
窯跡は陶邑(すえむら)窯跡群と呼ばれ、堺市、和泉市、岸和田市、大阪狭山市の丘陵地帯に位置し、1000基以上の窯がつくられていたとされる。つまり泉ヶ丘駅近辺は、古墳時代から平安時代初期にかけて須恵器の一大生産地だったのだ。
当然、陶工たちが泉ヶ丘には住んでいた。しかし、燃料となる木材を消費し尽くしたため7世紀には衰退し始め、9世紀の後半には廃絶してしまう。
現在、資料館の資料の一部は堺市博物館で保管され、大蓮公園内には窯跡が復元されている。
ただし、木々とフェンスに囲まれてポツンとしたようすは、まるで忘れ去れたかのような寂しさを禁じ得ない。
つづく