川旅のハイライトともいえる川原泊

 古くから、川ってのは人々の生活に密接に関わってきた場所。都会は画一的でどこも同じような景色や物だったりするが、地方の川の流域には、今でも刺激的な文化・おもしろ・美味がゴロゴロと転がっている。

 かつて僕が四国の山奥の川を下った際、地元のおばあちゃんに道を尋ねたことがあった。そのおばあちゃんは「ああ…その滝な…大体ここから3里ほど山の方に行ったところにあるがよ」と言った。僕は「はいはい、3里ほどね… って、里って!」と激しくノリツッコミした経験がある。この現代において、いまだに現役で「里」という単位がまかり通ってる事実に驚愕し、いいようのない感動に打ち震えたものだった。

 他にも不意に名もない絶景スポットに出くわしたり、マニアック武将の墓を発見したり、驚くほどうまい郷土料理を食べたり、川に潜って出会い頭のオオサンショウウオにびっくりしたり、かつて鮎がうじゃうじゃいた頃の夢のような川の話を聞いたり etc…

移動の時間にこそ様々な出会いが待っている

 僕は今まで、日本各地でこのような川旅を続けてきた。

 なかにはワンナイトラブ的な関係の川もあったが、その大半が大恋愛だ。旅をしたときは徹底的にその流域に恋をし、「もっと知りたい!」という思いで寄り道もしまくり、土地のものを食べ、いろんな人たちと語らった。このようなディープな体験と感動は、ただ川下って温泉入って帰るだけではなかなか得られないものなのである。

■自分だけの“自由”を取りにいこう!

 そんな僕の過去の川旅の記録を、今後ここで連載という形で載せていただくことになった。

 タイトルは、『股旅リバログ』。

 諸国を股にかけて旅をした僕の川の記録(リバーログ)を残していきます。僕自身は、川の技術がすごいわけでも旅の達人でもなんでもない、ただの川好きのおじさんです。

 でも川旅は技術が未熟でもいいし(むしろ若く未熟な方がいい)、人と何かを競ったり比べたりするもんじゃない。前述の通り、総合的にその流域の「息吹」を感じられるかどうかです。川旅の正解は、その人の中にしか存在しないものです。

ただ静かに自分と見つめ合う時間も大切だ

 タイトルの「リバログ」には、リバー以外にも「リバティー(自由)」という意味も込められています。同じ自由でもフリーダムとは違って、「行動を起こして自ら取りに行く自由」という意味があるそうです。

 その自由を自発的に取りにいくかどうかはあなた次第。僕のログを辿ってみるもよし、参考程度にして自分なりの川旅を模索してみるもよし。

 あなたにとって、この連載が自由へのきっかけになってくれたら幸いです。