華やかなファッション業界の最前線を経て、現在は泥臭いアウトドア業界で燻されながら奮闘する人物がいる。焚き火マイスターこと、猪野正哉さんだ。
活動の拠点は千葉県千葉市。アウトドアスペース「たき火ヴィレッジ<いの>」を運営し、焚き火を中心に自然の中で遊ぶことの魅力を発信することが主な仕事だ。昨年の秋には初の著書『焚き火の本』(山と溪谷社刊)を発売するなど、近年のキャンプブームが追い風となり、焚き火関連の仕事が順調に増えてきていると言う。
そんな猪野さんが、山あり谷ありの人生を乗り越え、自分のいるべき場所に気づかせてくれたアウトドアとの出会いについて、焚き火を囲みながら話してくれた。
Profile:猪野正哉 焚き火マイスター。日本焚き火協会会長。アウトドアプランナー。ライターやモデルとしても活動する傍ら、フジTV『石橋、薪を焚べる』の焚き火監修や、BS日テレ『極上!三ツ星キャンプ』の三ツ星ファミリーの一員でもある。著書に『焚き火の本』(山と溪谷社刊)がある。@takibinohon
■シティーボーイに憧れた少年時代
—現在は焚き火マイスターとして様々なメディアで活躍されていますが、元々はファッション誌のモデルさんだったとか。アウトドアとはまったく正反対な世界のように思えますね。
浪人生だった頃に冗談半分で薦められて応募したんです。あれよあれよと審査を通過し、見事3000人近くの中から合格してしまいました。結局、2年間「メンズノンノ」の専属モデルをさせてもらいました。今の僕しか知らない人は驚くし、昔の僕しか知らない人も今の姿を見て驚いています。
—当時から趣味でアウトドアを楽しんでいたんですか?
いえいえ。当時は、仕事が終わったらパチンコ屋に直行! みたいな生活をしていました。都心に住んでいて、人脈や仕事を増やすために毎日のように飲み歩いては朝までクラブ通い。当時の僕はシティーボーイを目指していたんで。
—ファッション業界は猪野さんにとって、どんな世界でしたか?
千葉で生まれ育った僕にとって、東京のファッション業界というのは憧れの世界でした。実際、そこで働くようになって、運良くスタートから業界のトップの人たちが集まるような環境で仕事をさせてもらえたことは、今では大きな財産です。当時、周りにいた売れっ子のモデルたちは、みんな自然体でかっこよくて。でも、その中にいる自分自身に対して不安もあったし、違和感も常にありました。