■何よりも登山者を第一に

 五十嶋は80代半ばを過ぎた現在も毎年山に入り、従業員とともに登山者の対応などの業務に当たっている。すべては「登山者のために」というひたむきな思いからだ。

五十嶋さんが今でも山小屋に入り続けるのは?

五十嶋「山小屋にいるといろんな人が訪ねて来てくれて、それが楽しいんです。なかには『太郎に来てお前の顔を見ると疲れが取れる』と嬉しいことを言ってくれる人もいて。それに山の空気を吸いながら小屋の仕事をしていると、食欲がわいてくるし、体の調子も良くなってくるんです」

現在の太郎平小屋

山小屋ではどのように過ごされているのですか?

五十嶋「私には、ずっと変わらないルーティンがありまして。毎朝3時半に起きて、その日の業務の確認や準備、宿泊者の見送り、ラジオ体操、朝食、それからミーティングをして掃除に入る…… という日課を毎日欠かさず行っています」

五十嶋さん自ら、登山者の応対をすることもあるんですか?

五十嶋「山岳警備隊がいないときは私が登山相談所で登山届の受付や相談事への対応をしていますし、キャンプ場や水源地の確認もしています。また、雨の日は乾燥室の管理が私の仕事でして。お客さんに雨具や登山靴を干してもらったあと、できるだけ人が出入りしないようにすると乾きが良くなるんです。次の日の朝、乾いた装備で気分よく出発してもらいたいですからね」

長年、薬師岳や奥黒部に関わってきた五十嶋さんの目から見て、国立公園としてのこの山域の魅力はどこにあると?

五十嶋「1つはやはり山の魅力ですね。奥黒部には、薬師岳、黒部五郎岳、鷲羽岳、水晶岳という深田久弥さんの百名山が4座もあります。また、太郎兵衛平や雲ノ平、高天原といった高原が点在し、黒部川の上ノ廊下や源流域では沢登りイワナ釣りが楽しめます。赤木沢はすごく人気がありますよね。高天原温泉は、日本一の秘境の温泉です。剱岳や槍ヶ岳のような険しい岩稜、岩峰はありませんが、多様な自然との出会いを楽しめる山域だと思います」

日本最奥の温泉・高天原温泉
広々として気持ちがいい太郎兵衛平。赤い屋根の建物は太郎平小屋
薬師沢小屋。吊り橋の下を流れるのが黒部川

山小屋を取り巻く環境が年々厳しくなる中、これからの山小屋にはどうあってほしいと?

五十嶋「ひとつには、自分の山小屋のことだけじゃなく、いろんな小屋から学んでほしいと思います。私のころは『山松会』という全国の山小屋のオヤジが集まる会があり、文蔵さんに連れられて私も1966(昭和41)年から参加するようになったんです。山松会では研修登山といって、毎年各地の山小屋に出向いては情報交換や勉強会を行っており、山小屋経営者として多くのことを学ばせてもらいました。これからの人たちもそうした山小屋同士のつながりを持ち、良いところを互いに学び合ってほしいですね」

 「そして、そうやって学んだことを、ぜひ登山者のために生かしてもらえればと。山小屋は常に登山者に寄り添い、登山者第一であってほしい。それが私の何よりの願いなんです」

登山者のことをひたむきに思えるのは、文蔵さんの教えが今も五十嶋さんの中で生き続けているからなんでしょうね。

五十嶋「山小屋をやっていて何が嬉しいかと言えば、朝、登山者を送り出すとき、笑顔で『楽しかった』『また来るよ』と言ってもらえることなんです。お客さんに喜んでもらうことが、私にとっては一番のやりがいなんですよ」

五十嶋商店前の五十嶋博文
千寿ヶ原の五十嶋商店