■薬師岳を守るために
若き日の五十嶋は、山小屋の経営や登山者に対する姿勢について、さまざまな先達たちから学んできた。なかでも、剱澤小屋の佐伯文蔵や立山ガイドの佐伯栄治には多くの教えを受け、「私にとっては恩師のような存在だった」と語る。
山小屋の経営や遭難救助のことは、剱澤小屋の佐伯文蔵さんに教わったそうですね。
五十嶋「文蔵さんからは多くのことを学ばせてもらいました。『山小屋の人間は、登山者が困っていれば、できるかぎりのことをしてやらなければならない』というのは文蔵さんの教えですし、『お前が薬師を守っていくんだからな』ともよく言われていました。山に関することは常に文蔵さんに相談し、本当の親子のようにいろいろと面倒を見てくれました」
「また、栄治さんには、積雪調査や遭難救助を通じて山岳ガイドとしての要領を教わりました。1959(昭和34)年に神戸市役所の職員が遭難して亡くなったとき、遺体を薬師沢で荼毘に付したのですが、その方法を教えてくれたのも栄治さんです。『山にいるからにはこういうこともきちんと覚えておけよ』と、まだ19歳だった私に仕込んでくれたんです」
五十嶋さんが山小屋の経営のみならず、遭難救助や自然保護に尽力されてきたのも、「自分が薬師岳を守るんだ」というお気持ちからですか?
五十嶋「そうです。1970(昭和45)年に薬師岳方面山岳遭難対策協議会が設立され、当時30歳だった私は救助隊長に任命されました。救助隊長はその後、2023(令和5)年まで50年以上務めさせていただきました。また、遭難事故発生時に迅速に対応できるよう、太郎平小屋の一室を富山県警の山岳警備隊員の常住部屋とし、薬師岳・奥黒部山域の10か所の山小屋を結ぶ無線ネットワークを開設しました。この無線ネットワークは毎日の定時交信にも使用しており、山小屋間で登山者や登山道の情報共有を行うことで事故の予防にも一役買っています」
「自然保護関連で、古くからやっているのは厚生省(現・環境省)の自然公園指導員で、21歳のときからです。1972(昭和47)年に富山県で自然保護指導員制度が発足したときには、第1号の指導員に任命されました。ライチョウやカモシカの調査にも携わり、珍しいものでは高山蝶であるタカネヒカゲを守るパトロールもやりました。高山蝶パトロールは県に話を持っていき、1977(昭和52)年から5年間ほど予算もつけてもらったんです」
山小屋の経営者として、ほかに大切にしてこられたことはありますか?
五十嶋「ひとつには、登山者への安全登山の啓発があります。シーズン中は、夕食の時間を使って、常駐する山岳警備隊員に安全登山に関する宿泊者向けの講話をしてもらっています」
「また、山小屋の従業員たちにも、山のことをもっと知ってもらいたいという考えから、朝のミーティング時に山岳警備隊員や遭対協のメンバー、グリーンパトロール、山岳診療所の医師などから、遭難救助や登山者からの相談内容などについて話をしてもらっています。山小屋に働きに来て、『自分は調理の担当だから』と厨房のことしかわからんようではだめだと思うんです。山小屋にはいろんな人が関わっているのだから、彼らから山や登山者について学び、自分の仕事に生かしていってもらいたいんです」