中部山岳国立公園は、雄大な峰々が連なる北アルプスを擁し、これまで多くの人たちが登山や自然との触れ合いを楽しんできた。連載企画「そこに山小屋を興して」では、中部山岳国立公園のそれぞれの山小屋が歩んできた歴史を紐解きつつ、山と人をつなぐ場所としてどんな未来を思い描いているのかを紹介していく。

 第13回は、立山登山の中継地点・一ノ越に建つ「一の越山荘」の3代目であり、20代の頃から40年以上、現場に立ち続けてきた佐伯光昭さんに話を聞いた。

■芦峅寺の人に小屋を委ねた、祖父と父の時代

 光昭の祖父、佐伯秀胤が一の越山荘を建てたのは、1950(昭和25)年のこと。当初は休憩小屋として建てられたが、1954(昭和29)年の立山駅~美女平駅間のケーブルカー開通にはじまる立山黒部アルペンルートの開発によって立山登山に訪れる登山者が増加し、宿泊もできる山小屋へと整備された。

光昭さんの家は代々、お寺の住職をされているそうですね。

佐伯光昭さん(以下、光昭)「うちはもともと芦峅寺にあった立山寺という寺院の出で、今は富山市内の円隆寺で住職をしています」

現オーナーの佐伯光昭さん

戦後、おじいさまの秀胤さんはなぜ山小屋を始めたのでしょうか?

光昭「詳しい話は聞いていませんが、山っ気があったのではないでしょうか。そのころすでに室堂山荘や剱澤小屋という手本があったので、『よし、自分も』となったんだと思います」

一ノ越は、室堂から雄山に登る中継地点であるだけではなく、黒部湖の方へ下りていくこともでき、五色ヶ原や薬師岳方面へと向かう縦走路でもあります。交通の要所であるこの場所に山小屋を構えた秀胤さんには先見の明があったんでしょうね。

光昭「どうなんでしょう。じいさんじゃなくても、一ノ越が山小屋に適した場所だということはわかりそうですけど(笑)」

一ノ越から雄山を眺める

山小屋を建てたものの、実際の管理は芦峅寺の人に任せていたのは、お寺の仕事があったからですか?

光昭「寺のこともあったとは思いますが、芦峅寺には山の仕事に長けた人たちが大勢いたので、山のことは彼らに任せた方がいいという考えだったと思います。餅は餅屋、ということです」

 「父も、寺のことをやりながら、山には入らず、立山町の役場に勤めていました。山小屋は芦峅寺の(佐伯)善之さんという方にずっと任せていたんです」