■地域と関わりながら「面的」な発展を

現在の白馬山荘。北アルプス・白馬岳の直下に建つ(写真提供:白馬館)

 年号が昭和から平成へと移り変わった1989(平成元)年、恒久の長男・貞一が白馬館の社長に就任(恒久は会長に)。貞一は、白馬山荘に太陽光・風力発電システムを導入したり、レストラン棟「スカイプラザ白馬」を新設するなどして、新たな時代にふさわしい山小屋作りを進めていった。コロナ禍を経た2022(令和4)年には、東京の企業に勤めていた貞一の長男・英志郎が白馬に戻り、経営に加わることに。2人はこれからどのような山小屋を目指していくのだろうか。

1991(平成3)年、貞一の代になって新設された白馬山荘のレストラン棟「スカイプラザ白馬」(写真提供:白馬館)
白馬館では現在、白馬山荘のほかに白馬鑓温泉小屋(写真)、白馬大池山荘など計7つの山小屋を経営している(写真提供:白馬館)

コロナ禍を経て、山小屋経営のあり方は大きく変わりました。今はどのような課題が?

貞一「課題は山積しています。コロナ禍による山小屋の宿泊定数の削減と事前予約制、物資の空輸に使うヘリコプター料金の値上げ、労働力不足など、どれも経営の根幹にかかわる問題ばかりです」

大雪渓のことも心配では?

貞一「去年(2023/令和5年)、融雪が進んで危険だということで地元の関係者と協議して8月末に通行止めにしました。山小屋の営業終了前に通行止めにしたのは、この10年で3回目です。温暖化の影響だとは思うのですが、大雪渓は白馬山荘へのメインルートなので、今後どうなっていくか心配ですね」

経営的にも環境的にも大変なことが多い中、白馬山荘グループとして、これからどんな山小屋を目指していこうと?

松沢英志郎さん(以下、英志郎)「私自身、白馬に戻ってきて強く感じているのは、地域との関わり合いの中でどのような事業を展開していくか、ということですね。山だけで考えようとすると、うちが単体でやるしかない。しかし、麓に目を向ければ、山や自然が好きな人たちが大勢集まっていて、それぞれ観光に関わる仕事に携わっています」

 「白馬館は山小屋とスキー場という“山”と“麓”の両方に関わっているので、両者をつなぎ、白馬という地域全体の観光業を広く面的に盛り上げていく役割を果たせるのではないか。みなで知恵を絞り、力を合わせれば、白馬を四季折々の魅力にあふれた通年型の山岳観光地としてもっと発展させていけると思っています」

2022(令和4)年、白馬に戻り白馬館の経営に加わった、貞一の長男・英志郎さん

白馬を含めた後立山エリアは「山」と「麓」が近いですしね。

英志郎「白馬は山と麓がとても近いため、圧倒されるような雄大な山岳景観を麓の町から見ることができる特別な場所だと思います。槍・穂高連峰の登山口である上高地も素晴らしい場所ですが、松本市街からは離れています。かたや白馬は、白馬村や小谷村という地域全体を上高地のような登山口として捉えることもできるのではないか。そう考えると、槍・穂高、立山とは少し違った、白馬ならではの山の楽しみ方を伝えていけると思うんです」

麓も含めた地域全体の振興に深く関わっていくスタンスは、貞逸さんの時代から代々受け継いできたものとも言えますね。

貞一「たしかに、白馬館のこれまでを振り返ると、自分たちの都合だけで何かをするということはほとんどなくて。たとえば、白馬山荘のすぐそばには村営の白馬岳頂上宿舎がありますし、栂池のスキー場の開発も地元と関わって進めてきました。まわりにはいつも地元の方たちがいて、その声に耳を傾け、気を配ってきたんです」

 「私たちとしても地域の中核の一端を担っているという意識は強く持っていますし、地域における信用を大事にしてきました。だからこそ、これからも自分たちだけが潤えばいいという発想ではなく、常に『地域にとってどうか』『地域全体が盛り上がるにはどうすればいいか』ということを考えていきたいですね」

白馬館のオフィスにて。貞一さんと英志郎さん。2人の背後には貞逸さんのレリーフと恒久さんの胸像も(白馬岳山頂直下と栂池高原スキー場に建立されたもの)
白馬館の公式サイト