北アルプスの稜線上、奥穂高岳と涸沢岳の鞍部(コル)に建つ穂高岳山荘は、今年2023年に創業100周年を迎える。穂高連峰は北アルプスでも屈指の人気のエリアゆえ、今夏この山域での登山を計画している人も多いのではないだろうか。そんな人にぜひ知っておいてほしいのが、穂高岳山荘のさまざまな「こだわり」。知って泊まれば、山荘での滞在はより充実したものになるはず!

■創業100周年を迎えた穂高岳山荘とは?

 さかのぼること100年前の1923(大正12)年、槍・穂高連峰で山案内人をしていた今田重太郎が、穂高稜線の白出のコルに山小屋建設を決意したのが、穂高岳山荘の歴史のはじまり。開業当初は20人ほどが泊まれるだけの小さな山小屋だったが、重太郎やそのあとを継いだ二代目主人の今田英雄が長い年月をかけてコルの敷地を広げ、建物の増改築を行ってきたことで、現在では200人以上を収容できる広く快適な山小屋となっている。

1940年代半ばごろの穂高岳山荘(当時の呼称は「穂高小屋」)
奥穂高岳側の斜面から白出のコルを見下ろす。建物が真っすぐ直線的に建っているのも英雄がこだわったポイントだ

 山荘の建物や敷地には、二代目主人・英雄の「こだわり」が随所にこめられている。それらを知っているかどうかで、穂高岳山荘に泊まる楽しみの「密度」は大きく変わる。ここでは「石」「太陽」「水」にまつわる、3つのこだわりを紹介しよう。

■登山者たちの憩いの場「石畳のテラス」

 初めて穂高岳山荘を訪れた人がまず驚くのが、山荘前に広がる「石畳のテラス」だろう。穂高連峰は鋭く切り立った急峻な稜線が連なっているが、山荘が建つ白出のコルはまるで広場のような空間となっており、天気のいい日の日中には巨大な石のテーブルを囲んで、多くの登山者が缶ビールを飲んだり、談笑したりと、思い思いの憩いのときを過ごしている。

 山小屋が建つ前、コルの広さはテント一張分ぐらいしかなかったという。そんな狭い土地を広げていくには、山の斜面を削ったり、土砂や石で地面をかさ上げしたりと、途方もない時間と労力がかかっている。さらに英雄の代になると、拡張した敷地の仕上げとして、表面が平らになった石をきれいに敷きつめ、見た目にも美しい石畳のテラスを作り上げていった。

 何も知らなければ、白出のコルにはもともと大きな山小屋を建てるだけの十分な広さがあったと「誤解」するかもしれない。しかし、実際はそうではない。広々とした石畳のテラスは、人間の手によって土地を拓き、石を敷きつめて、作っていったものなのである。

建物の前庭には平らな石が敷きつめられて、広々としたテラスになっている