■山域を「面」としてカバーするために

 殺生ヒュッテは創業から100年以上、中房温泉が経営してきたが、今シーズン(2025年)から槍ヶ岳山荘グループに加わり、新たなスタートを切ることとなった。経営を引き継ぐにあたって、同グループ代表の穂苅大輔さんが重視したのは、槍ヶ岳一帯を「面」としてカバーすることだった。

現在の殺生ヒュッテ《写真提供:槍ヶ岳山荘グループ》

殺生ヒュッテと槍ヶ岳山荘は近隣に位置する山小屋同士で、これまで競合関係でもあったわけですが、なぜグループに加わることに?

穂苅大輔さん(以下、穂苅)「昨年、百瀬さんから『殺生ヒュッテを引き継いでくれるところを探している』というお話をいただきました。経営的な観点から言えば、うちはすでに5つの山小屋を持っていましたから、はじめは『山小屋の数をこれ以上増やすのは厳しいんじゃないか』と考えました。小屋が増えれば、その分の人員を雇用しなければなりませんし、自分が見なければならない範囲も広がってしまいますから」

槍ヶ岳山荘(左)と殺生ヒュッテ(右)は登り40分、下り20分という近さに立地する《写真提供:槍ヶ岳山荘グループ》

それでも最終的に受け入れる決断をされたのは?

穂苅「槍ヶ岳山荘と殺生ヒュッテは昔から同業者として競争しながらも、登山道の整備や遭難救助などの面では協力し合ってきた関係性があります。ライバルでありながら、仲間同士でもあったんです。もし殺生ヒュッテが営業休止となれば、その協力関係もなくなってしまうし、これまで殺生ヒュッテがこの山域で担ってくれていた役割も果たせなくなってしまいます。私としては、それは何としても避けたかったんです」

 「もし中房温泉さんが手放すとしたら、一番スムーズに引き継げるのはうちであることは明らかでした。山域全体のことを考えれば、槍ヶ岳山荘グループとして運営していくのが最善だろうと判断し、百瀬さんのお話を受けることにしたんです」

槍ヶ岳山荘グループ代表の穂苅大輔さん

自社だけではなく、山域全体のことを考慮してのご判断だったわけですね。

穂苅「自分のところだけうまく行けばいいというのは、やはり違うんじゃないかと。それは父(先代の穂苅康治)やほかの山小屋の諸先輩方から教わってきたことでもあり、この山域の山小屋のあり方として共通していると思います」

今シーズン営業をしてみて、いかがでしたか?

穂苅「先ほどお話したように、これまでも様々なことを協力し合ってやってきたわけですが、やはり別々の会社だったので、一緒にやりたくてもできないこともありました。同じグループの山小屋になったことで、そうした壁が一切なくなり、槍ヶ岳周辺の山域をより強固に『面』としてカバーできるようになりました」

 「たとえば、近隣で遭難事故が発生したら、槍ヶ岳山荘と殺生ヒュッテの両方からスタッフを出して救助活動に当たってもらう機会が増えました。槍沢の途中で体調不良者が出たときには、殺生ヒュッテがあるおかげで早めに山小屋に収容できて大事に至らずに済んだ、という事例もありました」

 「また、夏の最盛期には、槍ヶ岳山荘のテント場がいっぱいになることがあります。そのときには殺生ヒュッテで案内を出してもらい、殺生ヒュッテのテント場に泊まってもらうこともスムーズにできるようになりました。利用者にとっての利便性も上がったのではないかと思います」

設備やサービス面で新たに導入したことは?

穂苅「設備の更新は少しずつ進めていますが、まだ1年目なのでガラッと大きく変えたことはないですね。サービス面で言えば、槍ヶ岳山荘グループのそれぞれの小屋でスタッフが手作りスイーツを出していて、殺生ヒュッテでもチーズケーキなどを新たにメニューに加えました。また、Tシャツやステッカーなど物販のアイテムも徐々に増やしています」

今シーズンから提供をはじめた手作りチーズケーキ《写真提供:槍ヶ岳山荘グループ》
オリジナルのTシャツ。背中側には「殺生小屋」という文字がプリントされている《写真提供:槍ヶ岳山荘グループ》
「殺生小屋」ステッカー。ヘルメットやスマートフォンに貼ってみては?《写真提供:槍ヶ岳山荘グループ》

Tシャツもステッカーも「殺生ヒュッテ」ではなく、「殺生小屋」なんですね。

穂苅「スタッフが考えて、『殺生小屋』にしたようです。名前のインパクトはありますから、小屋の認知度を高めるためにもいいんじゃないかと思っています」

たしかに迫力がありますね(笑)。

穂苅「殺生ヒュッテは、槍ヶ岳山荘のような規模の大きな山小屋ではありませんが、その分ゆったりと静かに過ごせるという良さがあります。スタッフもいいメンバーが揃っています。殺生ヒュッテという山小屋にはポテンシャルがまだまだあると思います。今後はそうした殺生ヒュッテならではの魅力を高めていくとともに、広く発信をしていき、『殺生ヒュッテに泊まりたい』という方をもっと増やしていきたいですね」