■ここが松平城の「最終防衛ライン」か!
若干、釈然としない気持ちを抱えつつ、主郭のひとつ手前の曲輪(縄張図2)にたどりついた。長方形で広く、かなりの城兵が駐屯できそうだ。
山城は、ただ険しいだけでは堅城となりえない。城内にそれなりに広い平地がないと、大勢で籠ることが難しくなってしまう。大軍で強襲されてしまえば、ひとたまりもない。
なるほど、そういうことか。この曲輪までたどりつき、合点がいった。松平城にとって、「絶対死守すべき」防衛ラインは、ちょうどこの曲輪なのだ。そう考えると、ここまでの尾根上の防御の甘さも、敵を誘い込む罠なのか? と深読みしてしまう(おそらく考え過ぎだろうが)。
その証拠に、ここから見下ろす切岸がハンパではない。
「登れるもんなら登ってみやがれ」と言わんばかり。前言撤回。松平城、ナメてはいけない。
■そこにあるものはなんでも使うのが山城
最終防衛ラインの曲輪から数mの落差を登ると、主郭にたどりついた。
ここも、先程の曲輪に比べるとやや狭いが、10m四方ぐらいの、ほぼ正方形の平坦地。そこそこの人数が籠れそうだ。
城址碑の巨石が気になる。おそらくこの山に元々あったものだろう。「山城=土の城」と一般的には言われるが、実際に各地の現場を歩いていると、案外、そうでもないことに気づく。見事な高石垣に感嘆することもあるし、自然石をそのまま防壁としていることもある。小勢力で、城外から運んでくることはできなくても、城内に石材があれば問題ない。現地にある自然を、最大限利用するのが山城の基本。だからこそ、その城にしかない個性が際立つ。
残念ながら松平城には、防備に役立てるほどの石材はなかった。代わりに、鋭く切り立った地形を利用し、切岸を極める城となったのだろう。
■背後の守りは度肝を抜く大堀切で万全
寄り道を経て、無事に主郭に到達。後は下山するだけ──というわけにもいかないのが、山城の奥深いところ。いや、別に潔く下山してもいいのだけれど。
登城口まで降りる道の途中から、東へ延びる小道がある。これをたどる。
大きく迂回するような感じで、城の東端へ。主郭の東側、先ほど登った尾根道のちょうど逆サイド。待ち構えていたのは、とんでもない大堀切だった(縄張図A)。
元々の自然地形を利用したもので、全てが築城時の土木工事の賜物ではないだろう。にしても、スゴイ。主郭と大堀切底部の落差は、10m以上ありそうだ。前編の井戸からの切岸と同様、ここから攻め上がるのは相当にキビシイ。
てことは、迂回して行くしかないのか、と思いながら、今来た道を引き返す。すると、先程の最終防衛ライン北側の切岸が、より険しく見えてくる。
そうか。ちょうどこちらから眺めると、逆L字型になっていて、切岸下を抜ける際、二方向から攻撃できるようになっている。なるほど、侮れないな……。
決して派手さはないものの、耐えに耐えて天下獲りを成し遂げた、家康の原点ここにあり。松平城、小さくとも見逃せない名山城だった。
■MAP 「松平城跡」愛知県豊田市