明智光秀が主人公だった『麒麟がくる』以来、3年ぶりに戦国大河が帰ってきた。松本潤が主人公を演じる『どうする家康』の放送が、ついに始まる。
戦国時代といえば城。そして城と“山”は、実は切っても切れない関係だ。というと、「え?」と疑問を呈する人もいるかもしれない。が、日本全国にある城跡の数は、トータルで3万とも4万ともいわれるが、実はその大半が、自然地形を利用した“山城”なのだ。山城を制する者、戦国を制す。
というわけで、『どうする家康』の展開を追いかけつつ、ドラマを見る楽しみが一歩深まるような山城を、1年間かけて攻略していきたい。
取り上げるのは、いずれも筆者が現地に足を運んだ山城。リアルな“山城攻め”を疑似体験してもらえれば幸いだ。そして、気が向いたらぜひ、実際に訪れ、自身で体感して欲しい。
■松平氏のルーツ・奥三河の松平郷を守る
松平城と聞いてすぐにピンとくる人は、歴史好きでもなかなかいないのではないか。家康が「徳川」になる前の旧姓は「松平」で、松平家の居城といえば岡崎城。家康もここで産まれ、「東照公産湯の井戸」も城内にある。
家康から遡ること8代、松平家の初代・親氏が拠点としたのは、同じ三河国でも内陸にグッと入った奥三河の松平郷(現・愛知県豊田市松平)。山と山の隙間のようなひなびた地にある農村だが、現地には家康を祀る東照宮や、松平親氏墓所、その入口には3代将軍・徳川家光寄進の将軍門などもある。家康以降も連なる徳川将軍家の原点、いわば“聖地”といえる。
その集落への入口を守るようにあるのが、松平城だ。
標高300m、比高60mほど。岡崎城に比べると、拍子抜けするほど小さい。当時はまだ、小規模の地方領主だった親氏。勢力からすれば、妥当な規模だな……。
それでも、グワッとせり上がって見える山影を見ると、胸が高鳴る。麓から遠望しただけでは「ただの山」だが、ここに数々の遺構が隠れている。これぞ山城の醍醐味。
※比高(ひこう):麓から城の最高地点までの標高差
■眼前の主郭にはしばらくお別れして……
登城口にたどりつくと、綺麗に段状になった曲輪群が見えた。季節は真冬の12月下旬。山城を歩くなら、下草の枯れた季節、晩秋から冬を経て、春先までに限る。改めてそれを実感する。
城内に足を踏み入れると、思わず「ウン、これこれ」と思わず声が出る。そびえる切岸。「攻められるものなら攻めてみよ」と、築城者の心意気が伝わってくるような光景だ。
※切岸(きりぎし):人工的に削り急角度にした崖
主郭(縄張図1)正面の斜面に付けられた道を登るのだが、右にそれる脇道へ。普通の登山ならまっすぐピークを目指すところだが、遺構は城内のあちこちに点在している。山城を攻めるなら、それらをくまなく巡りたい。ゆえに、一般的な登山の2~3倍、時間がかかってしまうのだが……。
切岸直下ということは、この細道を抜ける場合、確実に頭上からの攻撃にさらされる、ということ。巨石でも転がってきたら……。そして片側は直滑降の谷。こちらは自然地形か、築城時に加工されたものか判然としない。
■城下を監視する見張りの曲輪
しばらく歩くと、ちょうど半島状に突き出た部分に出た(縄張図B)。
地形的に見て、城下を監視する見張り台的な役割を果たしていたのは間違いない。先端部には、「櫓台」の看板とともに、巨石がいくつか転がっていた。
山城に神社や祠があることは珍しくないが、松平城にも、見張り曲輪の手前に(縄張図4)。地元の方に大事にされているようで、供物も新しく、掃除も行き届いていた。
神社右手に延びる尾根道が、城の中枢部へと向かうルート。なのだが、まだまだ寄り道すべく、脇道へ。