世界文化遺産にも登録されている「熊野古道」とは、じつはひとつの道の名称ではありません。熊野本宮大社へと続く中辺路(なかへち)、小辺路(こへち)など、複数の道の総称です。
熊野古道として世界文化遺産に登録されているのは、その中でも特に文化的価値が認められたごく一部のみ。登録されていないものの、平安時代から現代まで歩き継がれてきた修験道は、他にも数多く存在します。
そのひとつが、近年注目を集めている「奥辺路(おくへち)」です。 “幻の熊野古道”とも呼ばれるこの道について、詳しく紹介します。
◼️知られざる修験道「奥辺路」
熊野古道は前述の通り、単独のルート名ではありません。平安時代から歩かれ始めた熊野本宮大社に向かういくつもの道の総称で、それぞれの道は京都、高野山、伊勢神宮など、始点によって中辺路、小辺路、伊勢路などと呼び分けられています。
このうち、石畳や祠などの貴重な遺物が多く残り、古文書にも記されている文化的価値が高い一部のルートが「世界遺産・熊野古道」として登録されています。道そのものが世界文化遺産となるのは極めて珍しく、保全のため、走ったり、傷つけることは禁止されています。
一方で、世界遺産に登録されていない熊野古道も数多く存在します。中でも「奥辺路」は、高野山と龍神、熊野本宮を結ぶ修験道に近い道です。
奥辺路が通過する龍神に温泉を見つけたのは、平安時代の修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)。その後、修験道のレジェンドである弘法大師・空海が、龍神のお告げによって龍神温泉を開いたと伝わります。また、高野山と龍神を結ぶ山の尾根には、修験者の拠点である日光神社の遺構が見つかっています。これらの点から、平安時代以降、修験者の往来があった道だと考えられています。
しかし、残念なことに文化遺産登録に必要な文献や遺物が火災で焼失しており、世界遺産申請は難しいのが現状です。