■山小屋は現場の方がおもしろい
祖父・秀胤、父・立光はともに一の越山荘の管理を芦峅寺の人に委ね、自らが現場に立つことはなかった。しかし3代目の光昭は、大学を卒業すると山に入り、小屋の運営に直接携わるようになる。先代たちとは異なる道を選んだ光昭は、なぜ40年以上にわたって現場に立ち続けてきたのだろうか。
光昭さんはいつから山小屋に?
光昭「1984(昭和59)年の春からですね。当時はまだ善之さんが山にいたので、山小屋の仕事は善之さんからいろいろ教えてもらいました」
祖父や父とは異なり、光昭さんはなぜ自ら山小屋で働くことにしたのですか?
光昭「現場の方がおもしろいからですよ。寺の仕事は問題なくできていたし、それに何か急なことがあっても室堂と麓は車で行き来できるじゃないですか。立地的に恵まれていることもありますが、山小屋とお寺の両立はそれほど難しくなかったんです」
自分で山小屋を管理・運営するようになって、力を入れてきたことは?
光昭「特にこれということはないです。というか、毎日やるべきことをやっていくだけで精一杯でした。特に私が山小屋で働き始めた80年代は、とにかくお客さんが多くて。特別なことをやってもやらなくても、大勢の人が来てくれる時代だったんです。毎日200人ぐらいが泊まりに来て、夏の最盛期には400人を超える日もあったりしましたから」
それだけ多くの人を惹きつける立山や室堂の魅力とは?
光昭「ありきたりな答えにはなってしまいますが、やはりケーブルカーやバスなどの乗り物に乗って標高2,400mの室堂平まで上がってくることができ、そこからわずか2時間で標高3,000mの雄山の山頂に立てることじゃないでしょうか」
中部山岳国立公園において、山小屋は単なる宿泊施設ではなく、登山道の維持・補修、自然環境保全、遭難者の救助など、さまざまな役割を担っています。山小屋の仕事に40年以上携わってきた光昭さんの目から見て、国立公園の魅力や価値を高めていくために今後どんな取り組みが必要だとお考えですか?
光昭「近年では登山道の維持・管理が大きな問題になっていますよね。われわれ山小屋も努力はしていますが、限界があります。やはり専門の技術者をしっかりと育成し、確保していかなきゃいけないと思うんです」
「たとえば、一ノ越から雄山山頂までの登山道は、立山ガイド協会がネパールからシェルパを招いて整備作業を行っています。シェルパたちは体力があるし、技術もあります。技術ある人間をきちんと揃えて、一定期間集中して整備作業にあたってもらうことで、登山道はすごく歩きやすくなっているし、落石や転倒事故などのトラブルも目に見えて減りました」
「これまでは山小屋の人間が登山道整備を担ってきましたが、われわれは土木作業を専門とする技術者ではありません。国立公園の管理にたずさわる熟練の技術者をどう育てていくかは喫緊の課題だと思います」
これから一の越山荘をどんな山小屋にしていきたいか。今後への展望をお聞かせください。
光昭「泊まりに来てくれたお客さんに快適に過ごしてもらい、翌朝気持ちよく出発してもらう。そんな基本的なことをやっていくだけです。特別なことは何もないですよ」
山岳地帯という厳しい環境で営業する山小屋では、おそらく日常生活からは想像もつかないようなご苦労があるはず。当たり前のことを当たり前に。言うのは簡単だけれども実践するのは大変に違いない。長く見守ってきた光昭さんの穏やかな表情が印象的だった。