■うなぎは1切れずつ包装

パラフィン紙に包まれたうなぎの身

 うなぎの身は1切れずつパラフィン紙で包まれた状態で、合計で3切れ入っている。この工夫のおかげで、それぞれの身がくっつかずに済むし、身が金属面に直接触れないため、より長く風味を保てるわけだ。

 思い出してほしい、サンマやイワシの蒲焼缶詰を。複数枚が重なった状態の身は互いにくっつき、はがそうとすると身が崩れてしまう。あれは、なかなか切ないものであります。

■うな蒲をのせるのに全集中

身を箸で持ち上げてそっと並べる

 さて、メスティンのごはんが炊き上がったので、その上にうな蒲をのせていく。パラフィン紙から取り出す際に、身が崩れないように全力を傾ける。いや、崩れたって味は変わらないけれども、見た目によろしくないじゃないですか。

 うな蒲の下に箸を差し込み、その重量を分散させながらそっと持ち上げ、ごはんの上に並べていく。そんな些細な作業に全集中する自分が、割と好きです。

■ほぼ全面がうな蒲

玉子焼きを添えて缶成

 かくのごとし。3切れあったうな蒲は、レギュラーサイズのメスティンで炊いた1合のごはんのほぼ全面を覆う量があった。わずかに空いた隙間には、あらかじめ作っておいた錦糸玉子を添える。缶に入っていたタレも残さず回しかければ、うな蒲丼の完成であります。

うな蒲丼の完成

 うな蒲の1部に切り目を入れてから、下のごはんと一緒に箸で持ち上げる。この瞬間のなんと嬉しきことよ! うなぎ蒲焼が嫌いな人なんていないと思うけど(いたらすみません)、それが缶詰になったおかげで、こうしてアウトドアでも楽しめるのだ。ああ、この缶詰が終売とは、やっぱり残念だなァ!

 ところで、うな蒲缶を愛した斎藤茂吉についてのおまけ話がある。戦争前に買ったうな蒲缶はかなりの量があったのか、戦後になっても残っていたそうだ。その残ったうな蒲缶を読んだ歌がある。

 『戦中の鰻のかんづめ 残れるが さびて居りけり 見つつ悲しき(昭和25年 歌集「つきかげ」より)』

 太平洋戦争の開戦は、昭和16年。その年に、彼がうな蒲缶を買ったとすると、この歌が詠まれた昭和25年には、すでに賞味期限を6年ほど過ぎていたことになる。きっと湿気のせいで缶の表面にさびが出てしまったのだろう。

 じつは今回食べたぼくのうな蒲缶も、賞味期限を5年過ぎていた。「いつかハレの日に食べよう」と思いつつ、なかなか食べられずにいたのだった。うな蒲は経年変化で身がやや固くなっていたが、かみしめると中から染み出る脂はまさにうなぎの味。最後の1切れまで、大事にいただきました。

 

<今回の缶詰情報>

浜名湖食品「うなぎ蒲焼」110g(固形量100g)

※同社のオンラインでは終売