さまざまな事情によって、販売が終了してしまう缶詰がある。浜名湖食品の「うなぎ蒲焼」もそのひとつ。原価高騰や人手不足等により、今年の9月で終売が決まった。戦時中は軍用食に採用されたり、歌人・斎藤茂吉が好んで食べ、そのおいしさを歌に詠んだほど、歴史的な価値がある缶詰だった。

 静岡県の浜名湖地区は、日本のうなぎ養殖業の発祥地とされている。同地区にあるうなぎ加工業「浜名湖食品」の歴史も古く、創業は1934年(昭和9)だ。現存するうなぎ加工場としては日本最古だそうで、創業間もない頃からうなぎ蒲焼缶詰を製造してきた。ということは、この“うな蒲缶”には90年近い歴史があるわけだ。

■うなぎ専門店と同じ工程で製造

アウトドアでうなぎ蒲焼が食べられるなんて素敵だ!

 缶詰とはいえ、中身は本格派。浜名湖地区で育てられたうなぎを流水にさらして泥を吐かせ、1尾ずつ包丁でさばき、「串打ち」、「蒸し」、「焼き」の工程を経ているから、うなぎ蒲焼店とまったく同じことをやっているのだ。うなぎをくぐらせるタレも、継ぎ足しながら数十年間受け継いできた。

 ちなみに、価格は1缶1,300円前後だ(浜名湖食品オンラインストア価格。発注数によって1缶数十円の差あり)。高級缶詰の部類ではあるが、原料が国産だし、うなぎの重量は100gある。真空パックの商品と比較しても、決して高くはないと思う。

■山でうな蒲丼を食べる

メスティンでごはんを炊き、その余熱で缶を温める

 ところで、このうな蒲缶は手元にストックしてあったものの最後の1缶だ。

 歌人であり、大のうなぎ好きとしても知られる斎藤茂吉は、太平洋戦争が始まる前にこの缶詰を大量に買い込み、ちびちびと大事に食べたそうだ。

 昭和19年の彼の日記には、『夕食にしまっておいたうなぎの缶詰を食ったが非常に楽しかった』と記されている(原文はカタカナ)。よほど気に入っていた様子がうかがえて、微笑ましい。

 ぼくも、大事にしまっておいたこの缶詰を楽しもうと、白米と一緒に山へ持ってきた。アウトドアでうなぎ蒲焼丼を楽しもうという目論みである。

 早速、メスティンで炊飯を開始。フタの上に開缶前のうな蒲缶をのせ、フタから伝わる熱を利用して中身を温めておく。

■缶切り必須の缶

懐かしの缶切りによる開缶

 この缶詰を開けるには缶切りが必要だ。イージーオープン式の缶が普及する以前の缶を、浜名湖食品は使い続けてきたのだ。テコの原理を利用して「キコキコ」と刃を刺しこんでいく作業には、ちょいと郷愁をそそられた。