■鉄道の歴史が刻まれた日本一の急勾配路線

 ここで少し碓氷峠の歴史を振り返ってみたい。前述の通り、信越本線の横川〜軽井沢間は幹線鉄道としては世界一の急勾配であった。

 1893(明治26)年、レール間に敷設した歯軌条を機関車の歯車に噛み合わせて上り下りする、アプト式鉄道によって横川〜軽井沢間は開通。およそ70年間はアプト式だったが、1963(昭和38)年に、粘着式で走行可能な電気機関車(EF63形)が開発されてアプト(旧線)は廃止、いま歩いている新線が開通する。

 1998(平成10)年に長野オリンピックが開催されるのに合わせ、その前年の1997(平成9)年に長野新幹線(北陸新幹線)が開業。引き換えに、信越本線の横川〜軽井沢間は廃止された。もしも、残されていたなら、世界文化遺産に登録されていたことだろう。鉄道史に残る難所として名を馳せた碓氷峠にはいくつもの鉄道文化財が残り、その多くは国の重要文化財である。

碓氷峠にはいくつもの鉄道文化財が残り、旧線の第13橋梁をはじめその多くは国の重要文化財

●12:08  中継信号機 続いて、場内信号機

 休憩を終え、進んでいると信号機が見えてくる。5号トンネルの出口にある中継信号機だ。「廃線ウォーク」ツアーの演出として点灯させているそう。線路がカーブしていて、その先の信号機が見えにくい場合に中継される信号機で、タテ3灯は進行、横3灯は停止、斜めは注意。

5号トンネルの出口にある中継信号機

 次の4号トンネルの出口には青信号が見える。こちらは場内信号機。つまり、熊ノ平駅の場内進行! というわけだ。3号トンネルを抜けると、いよいよ、旧熊ノ平駅。お待ちかねの釜めしが待っている。

4号トンネルの出口に見える場内信号機

■熊の平~峠の湯(横川)

●12:20 旧熊ノ平駅到着(食事休憩)

信号場として開設された旧熊ノ平駅

 熊ノ平駅は1893年(明治26年)4月1日、横川〜軽井沢間の開通と同時に信号場として開設された。横川〜軽井沢(11.2km)のほぼ中間に位置し、列車の交換が行われたのだが、1000分の66.7という急勾配に対して、信号場内はレベル(水平)にしなければならない。用地がないことからスイッチバックが採用されて、上り下り方向とも3つトンネルが並ぶ信号場となった。1906年には駅となり、1966年まで「峠の力餅」が立売販売された。急峻な地形の場所だけに災害も多く、1950年には土砂崩れによって鉄道員とその家族が50名が犠牲となる悲しい事故もあった。

駅だった頃の熊ノ平駅舎