■再び、山へ

「復帰登山は3月でした。京都の御室仁和寺(おむろにんなじ)にある御室八十八箇所めぐりを歩きました」。距離はおよそ3.6km、標高差200mほどのコースを3時間かけて歩いたという。
「途中、何度もくじけそうになりました。全然登れないんです。とにかく、階段を上るのが大変で、筋力が落ちて足が上がらないんです。だから、何度も休憩しました。半年前なら、1時間もあれば楽に登れる山だったんですけれどね」と苦笑いを浮かべる。
それでも、山頂で味わった時間は、これまでにない感動だった。「少し登っただけなのに、こんなにも景色が変わる。そのことを、私はすっかり忘れていたんです。山頂で仲間とコーヒーを飲んで、おやつを食べたんですが、それがすごくうれしくて。『山って、やっぱりいいなあ』って心から思いました」
以前は、登山は早く歩くほうがいいと信じていた。体力にも自信があり、ペースを崩さず登ることに価値を感じていたという。
「でも今は、山での時間を楽しむことがいちばん素敵なことなんだと、やっと気づけました」
復帰後は、仲間たちと定期的にグループ登山にも参加している。けれど、事故から1年半が過ぎた今も、みんなと同じペースでは歩けないという。
「息苦しさはないんですけれど、足が上がらなくなって、すぐにしんどくなってしまうんです。登山の前はいつも、途中で動けなくなったらどうしようって不安で……。歩くのが遅くて、みんなに迷惑をかけるのが申し訳なくて」
そんな中でも、仲間たちの存在が心の支えになっている。
「みんなが『自分のペースで登ればいいよ』って言ってくれるんです。その言葉が本当にありがたくて。私が今も山に登れているのは、仲間が待っていてくれたから。それがなかったら、登山をやめていたかもしれません」
■レジャーの道中に潜むリスクを忘れないために

「最後に。大きな事故を経験して、いちばん伝えたいメッセージは何ですか」と尋ねると、由佳さんはまっすぐこちらをみて静かに語りはじめた。
「登山のリスクは、山の中だけじゃないんです。家に帰るまで、何があるかわからない。だからどんなときも油断しないでほしい」 同じく登山者である筆者の胸にも、その言葉は鋭く刺さった。
「あの日、ほんの一言『休憩しよう』って言えていたら、あんな事故にはならなかったと思います。彼女は運転がうまくてドライブも好きな人でした。だから、お互いに過信していたのでしょうね。それまで無事故だったし、つい、大丈夫だろうと思ってしまいました」
責任はハンドルを握っていた彼女だけにあるのではない。由佳さんの胸には今も消えない後悔が残っている。「私は、彼女の心に傷を負わせてしまった。そのことが何よりもつらい。私が運転できていたらって、今でも思います」
事故を起こした責任はひとりにあるのではないと由佳さんは繰り返す。ドライバーだけでなく、助手席に座る人も同じ責任と意識を持ってほしいと願っている。
「事故は本当に一瞬のことなんです。だから運転されるみなさん、疲れたら、眠くなったら…… 迷わず休んでください。そして、ハンドルを握っていない人もどうか声をかけてあげてください。『休もうか』のひと言が大きな事故を防ぐことにつながると、私は身をもって感じました」
取材を通じて感じたのは、リスクは山の中だけではなく、目的地に着くまで、そして帰るまで、いつでも潜んでいるということ。楽しい時間を無事に家まで持ち帰るために、ほんの少しだけ、レジャー前に由佳さんの言葉を思い出してほしい。