行政区画上は京都市内だが、周山城(しゅうざんじょう)のある旧京北町エリアは洛中から遠い。北へ向かうこと車で約1時間。バスなら1時間半もかかる。周山はこのエリアの中心地で、かつては京都と若狭湾の小浜を結ぶ周山街道(現在の国道162号)の途上でもある。
丹波から都を睨む位置でもあり、明智光秀はここを要地と見たのだろう。城の築城は丹波平定から2年後の1581(天正9)年、本能寺の変の1年前。従兄弟、光忠が城を任されていた。光秀の築いた城としては、同じ丹波の金山城と並ぶ、二大山城だといっていい。筆者にとって相手に不足ナシ、の山城だ。
■のっけから強烈な急斜面
登城口は周山市街地の西の外れ。住宅街の間を抜けると、さっそく見えてくる。うーん、あのピークか。やはり比高220mはダテではない。距離もなかなかありそうだ。
※比高(ひこう):麓から城の最高地点までの標高差
案内板から山に入り、しばらくはじわじわ谷沿いを進むのかと思いきや、ゆるやかなのはほんの数分。いきなりドカンと壁が立ちはだかる。道はつづら折れ。はるか頭上に尾根が見える。ここだけですでに100mぐらいの比高差はありそうだ。
下草に覆われた急斜面の中に、細い小道が延びている。息を切らせながら歩を進めること10分ばかり。なんとか尾根にたどりついた。
斜面から尾根へ上がる部分が、土塁を用いた虎口状になっている。が、後世の造成によるものかもしれぬ。それにしても見事な折れなので、城の遺構であって欲しいのだが……。心臓破りの急斜面からの入口に虎口を構えるのは、理にはかなっている。
※土塁(どるい):土を盛って土手状にした構造。曲輪の外周部に多い
※虎口(こぐち):曲輪の入口部分を狭くしたり、屈曲させたりして侵入を防ぐ構造
■延々歩いた先で城の遺構が目の前に
虎口を抜けた尾根上には、かなり広い平坦地があった。土塁など遺構らしき跡は見えないが、気になる。城の主要部があるはずのピークはまだまだ先。ということはここは出丸だったのだろうか。であればやはりアレは虎口か。
※出丸(でまる):城の最前線を守る曲輪(区画)。本城から張り出したり離れた位置にある
出丸らしき平坦地は虎口から北へ広がっているが、山道は逆の南へ伸びる。今度は尾根から斜面に細くつけられた小道をたどる。
150mぐらい進んだところで、道は折れ尾根のやや下を進み鬱蒼とした森の中へ。ここから少しづつ登りに。道は相変わらず心もとない。
歩けども歩けども、城らしき遺構は見あたらず。虎口から10分ばかり歩いたところに、ようやく。見えてきた。平虎口だ。石積で補強した土塁が、侵入者を阻むように両側から迫っている。
※土塁(どるい):土を盛って土手状にした構造。曲輪の外周部に多い
折れのないタイプの平虎口だが、右に直角に折れて城内に入るスタイル。その手前の細い道の右手は、外からはただの斜面のように見えるが、内部に入ると実は上部は土塁になっているのがわかる。滑りやすい斜面の道を、頭上からの攻撃をかわしながら駆け抜けた先に、右に急転して虎口。突破するのは容易ではなさそうだ。