■江戸時代に付け替えられた大和川

 両河川の合流地点に、丁未の乱の戦跡を示す史跡等は残されていない。しかし、約300年前に行なわれた大治水工事を今に伝えるものがある。

 いまでこそ、大和川は柏原市から西に流れて堺市を通り大阪湾に注いでいるが、江戸時代初期までは北上して大阪平野の東部を流れ、大阪城付近で淀川と合流していた。現在の地図でいうと、柏原市役所前辺りで湾曲し、関西本線に沿うような形で流れていたのだ。

 平坦な平野をクネクネと蛇行する大和川は、大雨が降るとすぐに氾濫する。それを防ぐためには、開削工事によって直進させるのが一番いい。そこで江戸幕府は1704年、付け替え工事をスタートさせた。この工事に功績があったのが中甚兵衛である。

 柏原市役所の前、大和川の土手に通じる国道25号線の安堂交差点の西には「大和川治水記念公園」がある。

国道25号線沿いにある大和川治水記念公園

 ここには工事が始まるまでの大和川の流れを図にした説明版や工事の「二百五十年記念碑」などの石碑が建ち、甚兵衛の像も建立されている。

治水記念公園内にある中甚兵衛像

 工事自体は大名たちによって行われたが、幕府への嘆願を繰り返したのが甚兵衛だ。嘆願の期間は46年にもわたるという。甚兵衛は、工事が始まったときも武士に混じって指揮を執った偉い人なのだ。

■短距離路線ながらも豊富な史跡

 そんな公園から土手をおりたところにあるのが「築留(つきどめ)土地改良区事務所」。事務所の横にはレンガ造りの「築留二番樋」があり、ここに大和川の水を引き込んで北へ流している。

1705年に設置され1888年に改修された築留二番樋。国の有形文化財に登録されている

 この北方向へ流れる川が旧大和川である長瀬川。いまはさほど大きくもなく、川幅も五メートルに満たないものの、戦前までは30メートルもあったらしい。

高台から見下ろした長瀬川(旧大和川)。左側に見えるのが築留土地改良区事務所

 道明寺線は、柏原南口駅を出て柏原駅で終点だ。JR線へICカードで乗り換えるときは、一度近鉄の専用簡易改札機にタッチする必要があるのでご注意を。

 1500年前の巨大古墳や1400年前の蘇我馬子や聖徳太子が活躍した時代の痕跡、1000年前の菅原道真ゆかりの寺社から400年前の戦跡や300年前の治水工事跡などなど、わずか2km余り路線であるにもかかわらず歴史の息吹が濃厚に感じられる。道明寺線は近鉄でもっとも古く、もっとも短いというだけでなく、そういう点でも興味深い路線なのである。