巷では桜の開花だ、沈丁花の甘い匂いだ、春の気配を至るところで感じるこの頃。寒さも緩んでは少し戻りを繰り返す。

 南アルプスに登り始めて、かれこれ15年になる。この時期といえば、一日の中に季節の変わり目があるような寒暖差があり、色々な意味で目まぐるしい変化が楽しめる狭間である。厳冬期の特徴である凶暴な風と一日の大半を覆う雪雲は鳴りを潜める。夜明け前のひと時の寒さに冬の名残りを感じられるものの、太陽が昇れば寒さは弱々しく日陰や風の通り道に隠れてしまうよう。肝心の雪はといえば、厳冬期より南岸低気圧のもたらす春の雪を纏うこの時期の方が、真っ白な雪景色に出会えたりするのも南アルプスらしい。

■戸台川を歩き北沢峠へ

冬雲が入った朝、広々とした河原から甲斐駒ヶ岳が見える

 その中でも一段と美しい雪を纏うのが、南アルプス北部の仙丈ヶ岳。小仙丈、大仙丈、藪沢の3つのカール地形にたっぷりと雪を抱え込み、どこを眺めてもいい曲線を描く。

 しかしながら、この山に会いに行くには無雪期にはバスでアプローチする分を歩かねばならない。標高差にして1000m、歩行時間6時間。無雪期には誰も見ないであろう戸台川の渓谷の中、山並みを見上げながらのんびりと歩く。

 今回の拠点となる北沢峠辺りでやっと雪山らしくなるのだが、標高を上げるにつれ、川の流れの中に現れる氷のオブジェを観察しながらのアプローチも好きである。最後の八丁坂を登ると、シーズン中には顔見知りが切り盛りする山小屋も青白い光の中で静かに佇む北沢峠に着く。テント場には雪の中から水道管のホースから水が出ているだけで、誰もいない。厳冬期のテント泊のように、夜のうちに雪に押しつぶされる心配はなく、日の出もそこまで早くない。2時過ぎにのんびりと歩き始めれば、小仙丈ヶ岳での日の出が拝めるかなんて考えながら眠りにつく。

誰もいない長衛小屋のテント場。雪の間から水道管が顔を出していた