■「日本アルプス」って、誰が言い出したの?

 地球上のほとんどの国と地域では「アルプス」といえば、ヨーロッパ中央部を東西に横切る山脈のことを指すだろう。しかし、この東アジアの島国では事情がちょっと違う。北、南、中央の日本アルプスがあるからだ。北も南も中央も日本もつけず、単に「アルプス」と表現されることもある。

 「日本アルプス」……。冷静に考えると、なかなか大胆なネーミングである。「東京ビートルズ」、「中野ブロードウェー」「和製ジェームス・ディーン」などに通じる昭和テイストが溢れるこの名称は、いつ誰がつけたものなのだろうか? 

■大胆なネーミングは、自称ではない

 結論からいうと、これは日本が勝手に名乗った訳ではない。言い出しっぺはウィリアム・ゴーランドというイギリス人である。ゴーランドは、1872(明治5)年に日本政府の招きで来日し、大阪造幣寮(現・造幣局)の化学技師兼冶金技師として活躍した人物だ。16年もの長きに渡り、反射炉の築造、鎔銅作業の技術の指導などを行い、日本の近代産業の発展に貢献している。その功績から、勲三等旭日中綬章を授章している。

 また、ゴーランドは日本各地の古墳の調査に取り組み、「日本考古学の父」とも呼ばれている。加えて、ボート漕法を指導したり、日本絵画を収集したりと多趣味でアクティブな人物だった。また、ゴーランドには登山家としての活動もあった。なんと、日本で初めてピッケルなどを用いた近代登山を行ったという経歴もある。

 マルチ人間のゴーランドは、1881(明治14)年に出版された『日本についてのハンドブック』という本のなかで、信州の山岳地帯に関するページを担当している。そこで飛騨山脈やその周辺を、その山容の雄大さ、美しさから「Japanese Alps」と紹介したのだ。

本州の中央部に位置し、長野県の木曽谷と伊那谷に跨って南北に連なる中央アルプス。写真は木曽駒ヶ岳の名物・千畳敷カール

 ■「アルプス一万尺」は、ヨーロッパとは無関係の曲

英国人のゴーランドに「Japanese Alps」と紹介されたのを受けて、これを「日本アルプス」と呼称したのは日本の登山家にして随筆家の小島烏水である。小島は、飛驒山脈を「北アルプス」、木曽山脈を「中央アルプス」、赤石山脈を「南アルプス」とネーミングし、それがやがて全国的に定着するのだった。

 なお、日本で親しまれている「アルプス一万尺」という曲は、ヨーロッパアルプスとは縁もゆかりもないことをご存知だろうか? 原曲は、スイスやオーストリアではなく、アメリカの民謡だ。そこに日本語のオリジナル歌詞が付けられたものだが(作詞者不詳)、ここで言う「アルプス」は、日本アルプスのことで、歌詞に出てくる「小槍」とは、槍ヶ岳の山頂(標高3180m)付近にある岩を指しているのだ。

写真の日本でナンバー2の高峰である北岳(3193m)、赤石岳(3120m)など9つの山の3000m峰を擁する南アルプス