■見どころは、山荘からの槍・穂高連峰の絶景
笠ヶ岳山荘はこれまでに2回、大きな増改築をしている。1回目は1985(昭和60)年に本館の北側に新館を増築。2回目は1998(平成10)年に本館を現在の規模の建物へと建て替えた。山小屋に携わるようになって半世紀。滋野さんはどのような思いを持って、経営を担ってきたのだろうか。

笠ヶ岳山荘をどんな山小屋にしたいと考えて、これまで経営されてきたのですか?
滋野「お客さんが気持ちよく過ごせる山小屋にしていこう、ということぐらいです。そのために心がけてきたことのひとつが、登ってきた登山者にはこちらから声をかけるようにすることです。それは山小屋に泊まってくれるお客さんだけではなく、テント泊の人、小屋の前を通過していく人に対しても同じです。小屋の人間から『こんにちは』『ごくろうさま』と声をかけてあげれば、登山者の人たちは嬉しいだろうし、お互いに気持ちがいいじゃないですか。従業員にも常々、『こちらから声をかけるように』と伝えています」
笠ヶ岳山荘の特長を挙げるとしたら、どこになりますか?
滋野「『うちの小屋はこれがおすすめですよ』というのはないんです。何を感じるか、何を味わうかは、あくまでもお客さんが主体ですから。うちはいつも通りに営業し、そこから何かを気に入ってもらえたら、それでいいんじゃないかと。立地的には星空観賞会みたいなこともできなくはないのですが、そういうことはあえてやらないようにしています」

ロケーションは最高ですよね。
滋野「おっしゃる通り、うちの山小屋の一番の魅力はこの立地ゆえの展望だと思います。周囲には視界を遮るものがないので、小屋に居ながらにして槍・穂高連峰の絶景や日の出・日の入りを眺めることができます。槍・穂高の景色って長野側から見ることが多いかと思いますが、こちら側(岐阜・飛騨側)から見る眺めも違った良さがあると思います」

登山者に伝えたいことは?
滋野「登山の基本である『早出早着』は心がけてほしいですね。特にうちの小屋の場合、新穂高から笠新道のルートはコースタイムが8時間以上かかるし、途中にほかの山小屋はありません。朝早く6時ぐらいに出発すれば、15時ごろには小屋に着けますが、新穂高発が11時を過ぎれば、山小屋着は20時ぐらいになります」
「小屋に着くのがあまりにも遅い登山者には、今でも厳しく注意しています。それは自分自身や同行者の身を危険にさらすことになり、遭難事故のリスクが高まるからです。ときにはお客さんも自分の言い分を言ってきます。『道路が混んでいて新穂高に着くのが遅くなった』『駐車場が空いてなくて、車を停めるのに時間がかかった』と。そうした事情はわからないことはないのですが、山では関係ないですからね。とにかく早出早着、安全第一の行動をお願いしたいです」

山小屋に入られて半世紀が経ちます。これからの展望は?
滋野「基本的には、これまで通りのことをこのまま続けていくことが一番大事かなと。特別なことはやらず、小さな山小屋なりにやっていければいいと思っています。ただ、これまで通りを続けていくのが、難しくなってきているのも事実です」
どんな課題が?
滋野「たとえば、必要な人数の従業員を集めるのが、年々大変になっていることがあります。毎年3月、4月ぐらいからアルバイト募集を出しても、なかなか人が集まらないんです。うちは営業が7月10日からで、この2、3年は7月初め、小屋開け前ギリギリに何とか決まる場合が多いですね」
「また、山小屋の仕事のうち、特に登山道整備はそれなりに経験を積まないと作業できません。今の若い子らは道具すら扱ったことがない人がほとんどなので、数が揃ったからといって、すぐに登山道整備の戦力になるかといえば、それは難しいわけです。加えて、整備の仕方を一から教えて、やっと作業できるようになったとしても、翌年以降、継続してうちの小屋に働きに来てくれるとは限りません。もちろん、毎年来てくれて、僕がいなくても小屋の仕事を任せられる従業員もいます。ただ、その人は60代前半なので、できれば40代ぐらいでそういう人がいてくれればとは思います」
「山小屋を維持・運営していくうえでの課題を解決していくには、それぞれの山小屋が孤軍奮闘しているだけではダメだし、国立公園全体を管理する環境省がすべてを担うのも難しいじゃないですか。これからは今まで以上に山小屋と環境省が一体となって、協働して課題解決に取り組んでいくしかないと思います」
