■車を取り囲む“白い男たち”の影

そろそろ寝ないと明日に響く。そんなことを言い合って、車の中に戻った。筆者は運転席、弟は助手席。シートを倒し、薄っぺらい毛布みたいなものを掛けて、身体を折りたたむ。
外はまだ小雨が降っていた。湿度は高く、車内はムシムシと不快だったけれど、それでもどこか楽しかった。明日は久しぶりの渓流釣りだと思うと、ワクワクして目が冴えていた。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
眠っていたのか、目を閉じていただけなのか、自分でもよくわからない。だけど、まぶたの裏に突然、鮮明な映像が浮かび上がった。
白装束の男たちが、車をぐるりと取り囲んでいる。
1人、2人じゃない。7~8人の無表情な男たち。声はない。ただただ、じっとこちらを見ている。睨むでもなく、笑うでもなく、感情のない顔で。白装束というよりは、どこか「作業着」のようにも見えた。
さすがに目を開けて確認する気にはならなかったが、不思議と怖くはなかった。敵意を感じなかったのだ。
まるで「ここで寝るのか。風邪をひくなよ」とでも言いたげな、優しいような、どこか懐かしいような気配。そんな空気を、彼らの姿から感じていた。
ただひとつだけ、筆者は思った。
「この話を今、弟にしたら…… たぶんまた興奮して寝られなくなる。そうしたら明日、睡眠不足で釣りがつらくなる」
リアルな恐怖体験の最中に、そんな馬鹿みたいなことを考えるなんて、まるで夢でも見ているようだった。
そして、いつの間にか筆者は眠りに落ちていた。夢だったのか、それとも実際に見た幻だったのか、それは分からない。ただ、夜が明け、朝の湿った空気が車内にじんわりと流れ込んできた。
■兄ちゃんも感じてただろ? 真っ白な着物を着たオヤジたちを

午前5時、目を覚ます。
「さぁ、釣り行くかぁ!」
そう言おうとしたとき、助手席の弟が、まだ眠たそうな声でぽつりとつぶやいた。
「あのさ、兄ちゃんも感じてただろ。車の電気を消した後、すぐに真っ白な着物を着たオヤジたちが、車を囲んでたよね……」
昨夜、筆者は弟に何も言っていない。
なのに、弟も同じものを見ていた。
背筋に、湿った冷たい汗がじわりと浮かぶ。
気がつくと、筆者の脳裏にはあの無表情な男たちの顔が再び浮かんでいた。あれは、いったい何だったのだろう。
ただの夢? それとも……。
だけど不思議と、また彼らに会ったとしても、きっと筆者はそこまで怖がらない気がする。筆者も、弟も、その夜の渓流で、何かに優しく見守られていたのかもしれない。
釣りをしに行ったはずの山奥で、筆者らは少しだけ、違う世界の呼吸を感じた。
そしてそれは、今でもときどき、まぶたの裏に、ふとよみがえる映像でもある。