筆者は高校時代、登山部の団体装備のテントが嫌で仕方なかった。山岳用テントの定員は、頭と足を互い違いにしてギリギリ横になれる広さを指す。したがって5人用テントで5人寝ていた当時は、寝返りも打てなかった。端の寝床をとれなかった場合、顔の両側は登山靴で蒸れた仲間の足となる。どちらを向いても不快なのだ。加えて山岳用テントは天井が低いため、たとえ端の寝床をとれたとしても、誰かがおならをすると、一瞬でテント内に充満する臭気からは逃げられない。

 そこで筆者は高校卒業後、すぐに3人用の山岳用テントを購入。両手両足を伸ばし、大の字になってテントを独り占めしたかったのだ。

 今回の話はこのテントで初ソロキャンプをした30年前の話である。

■単独行での登山

 筆者が電車を乗り継いで向かったのは、山頂一帯に大寺院があったという山。平安時代から戦国時代にかけて、武装している寺院は日本各地にあった。この山もそういった山の一つであったが、室町時代に攻め滅ぼされて全焼。僧侶はもちろんその家族や下働きの人まで皆殺しにされたという。そして今は石垣を残すのみだ。

 筆者の計画はこの山から始めて、数日間縦走登山をしようというもの。初日はメインルートはつまらないと思い、険しい修験道の道を選択した。実際に歩いてみると、看板や道標は一切ない。しかし小さな祠や石仏などが道標代わりとなっていた。

 山頂では尾根伝いに広大な石垣が広がっていた。場所がわかってしまうので詳しくは言えないが、この山はかなり人気の山。他の登山客がいてもおかしくないのだが、この日は誰一人として出会わなかった。

■長い夜の始まり

 筆者の登山計画はかなり大雑把なものであった。気の向くままに進み、危険と感じたら即下山する、野営も適当な場所があれば、そこでビバーク(緊急野営)すればよいと考えていた。ともあれテントや数日分の水や食料を持っている時点でビバークではなく、本格的に野営する気満々なのだが、30年前の分別がない若かりし頃ということでお許しいただきたい。

 日も傾いてきたため、筆者は野営地を探し始めた。さすがに寺院跡で野営することは避けたいと思っていたところ、小さな平地を発見した。そこでテントを設営し夕食を済ませると、辺りは真っ暗になっていた。

山の中の小さな平地(イメージ画像)

 この日の筆者はすぐに寝支度に入った。早く大の字でテントを独り占めしたかったのだ。ただ寝袋に入ると大の字にはなれない。そこでとりあえず寝袋に入らずに大の字になった。
その瞬間である。

 筆者は恐怖に体が凍りついた。テントの天井に白い襦袢(じゅばん)を着た髪の長い女性が浮かんでいたのだ。長い髪がまるで静電気の実験のように天井に張り付いており、筆者を見下ろしている。山岳用テントは天井が低い。ゆえに筆者と女性との距離は50cmもない。豆球ランタンに照らされた女性と完全に目が合ってしまった。

山岳用テントで大の字になる

 逃げ出したかったが、距離が近過ぎて動けない。筆者はあきらめて、「これは夢だ」と思うことにした。疲れていたから、寝袋に入る前に寝落ちして、夢を見ているのだ。そうして「これは夢だ」と思いながら一度目を閉じてまた目を開けた。残念ながら女性とまた目が合ってしまった。

 女性は20~30代くらいだろうか。豆球ランタンのほの暗い光に照らされた細面で切れ長の目には、感情がまったく感じられない。

 時間が過ぎるにつれ、寒さが堪え始めた。フライシートは閉めていたが、テントは全開。寝袋は前室においているザックの中にあり、取り出すことができない。

 豆球ランタンの電池がなくなり、徐々にテントの中は暗くなっていったが、女性の顔は暗闇の中でもハッキリと見える。改めて「気にしないで寝よう」と思ったが、目を閉じた瞬間に襲われることを想像してしまうと、目も閉じられなくなってしまった。

 こうなると時が止まっているのではないかと思うくらい、時間の流れがゆっくりに感じられる。果たして朝はやってくるのかと不安になっていると、少しだけ外が明るくなってきた。女性はまだ浮かんでいたが、外はどんどん明るくなってくる。筆者はもう一度ゆっくり目を閉じ、開いてみた。すると女性は消えており、テントの外に出るとちょうど日の出であった。

 こうして新しいテントでの初野営は、結局一睡もできず、朝を迎えたのである。

■当たり前の話だが、キャンプはキャンプ場で

山から見る朝焼け(イメージ画像)

 筆者の初ソロキャンプは大失敗であった。この日、筆者は完全に心が折れてしまい、そのまま下山。いわくつきの場所で野営なんてするべきではない。筆者は身をもって知ったのである。

 ただそれ以前にちゃんとマナーを守っていれば、こんな目に遭うことはなかった。30年前の若かりし頃とはいえ、キャンプ場ではないところで野営しようとしたことについては反省している。当たり前の話だが、キャンプはキャンプ場で楽しもう。さもなくば筆者のような目に遭ってしまうかもしれない。