山には何かがいる。山歩きをしている時、筆者がよく感じることだ。

 それは動物かもしれないし、山神様や霊かもしれない。ともあれ山を歩いていると、ある時は薄く、またある時は濃厚に何かの気配を感じるのである。ただ気配を感じたからといっても、特段何かするわけではない。あえてするとしたら、状況に応じて熊鈴などを打ち鳴らす程度である。

■道迷いによる遭難が多発する危険な低山

もはやどこが道かわからない低山の道標がない登山道(イメージ画像)

 数年前のことである。筆者は標高1,000m弱のとある低山に足を踏み入れた。その山は、山頂からの眺望は素晴らしいのだが、登山道はほとんど整備されておらず、いわゆる上級者向けの山として知られていた。加えて、道迷いによる遭難が多発することからも、各方面から注意喚起がなされている山だった。

 筆者は慎重に登山を開始。そして山の中腹に差し掛かった時、非常に紛らわしい分岐を発見した。そこは慎重に進めば間違えることはないが、油断していたら熟練者でも間違える可能性の高い分岐であった。

 というのも尾根道の誤った道のほうが目立っており、本線は尾根から逸れる細くて目立たない道であったからだ。地図を見ると尾根の先は崖。本線は尾根から逸れていた。崖まで行って、道を誤ったと気づき分岐まで引き返せるとよいのだが、気づかなかった場合、難儀することは目に見えている。たとえ崖をよじ登れたとしても、その先は名もなきピーク。山頂にはたどりつけない。

 「遭難が多発する危険な山」という注意喚起がなければ、筆者も道を間違えた可能性がある。恐らくこの分岐が、道迷いを引き起こす要因の場所だと感じた。

■足音

 再び気を引き締め、筆者は本線を進んだ。すると分岐を過ぎてから、右側の林を誰かが並走しているような足音が聞こえてきた。

 右側の林というと先程の誤った道の方角である。筆者は登山口から現在地に至るまで誰にも会っていない。並走しているので、人であった場合は分岐付近で見かけたはずである。動物なら人の気配を感じると逃げていくはずだ。

 何だろうと思いながらも進んでいくと、足音は徐々に遠ざかっていった。ともあれ山で姿なき足音を聞くことはよくあったので気にせず登頂。山頂では絶景を大いに楽しんだ。帰路は同じ道を通って下山。

 しばらく歩いていると、再び足音が聞こえ始めた。先程とは異なり、今度は足音が徐々に近づいてくる。そして足音は筆者と並走するようになり、ついに例の迷いやすい分岐まで戻って来た。振り返ると、間違いやすいほうの道から70代くらいの男性がひょっこり現れた。

 並走していたのは、この男性だったようである。メガネをかけた痩せ型で背が高く、使いこんで色落ちしたデイパックを背負っていた。青みがかったチノパンに青系のチェック柄のシャツを着用し、頭にはハンチング帽、上品な雰囲気だ。男性は少しうつむき加減ながら、英国紳士のような長い足で優雅に歩いてくる。

 分岐で立ち止まっていた筆者と男性の距離が5m程度まで近づいた。そこでこちらの存在に気付き、互いに目を合わせた。近くで見ると微笑をたたえた色白の顔が上品さを引き立たせる。筆者が「こんにちは」とあいさつすると、男性は歩きながら何も言わず静かに会釈を返した。そしてその姿が忽然と消え失せてしまったのである。

 普通なら怯えてしまうような出来事なのかもしれないが、筆者は子どもの頃からこのような出来事に遭遇し続けているため、少々のことでは動じない。そもそも男性から悪意をまったく感じなかったので、筆者は「やはりこの分岐が遭難を引き起こすきっかけだったのか」と確信を得たのみである。その後はいつも通り、ゆっくり下山した。

 登山客が少ないマイナーな山で一人さまよい続けるのは寂しい。それゆえ男性はたまに現れる登山客との出会いを楽しみにしているのであろう。そしてまた山に来てくれるように見守ってくれているのかもしれない。