■愛称は「いのしし神社」
さて、境内にあちこちに飾られているのがいのしし。「いのしし神社」という愛称までついているほどだ。


社務所に設置されたケースには、全国から奉納された「いのししコレクション」まで展示されている。

しかし、なぜイノシシなのか? これには激アツなエピソードがあるのだ――。
奈良時代・称徳天皇の御代のこと。怪僧・弓削道鏡が法王となり、絶大な権力を振るい、ついには天皇の位も奪おうと画策。こともあろうか、
「『道鏡を天皇にすれば天下は平和に治まる』と宇佐八幡より(神様のお告げ)があった」
と称徳天皇にホラを吹くのである。なんちゅう図々しい!
当然ながら、称徳天皇は困惑した。そして、そのご神託は本当か、九州の宇佐八幡へ行って確かめてくるよう、側近の和気清麻呂公に命じたのである。

しかーし! 道鏡は卑怯。天皇よりオレにつけよと和気清麻呂を誘惑。「自分が天皇になれば、大臣の位を与えるぞ……」とニンジンをちらつかせる。
しかーし、しかーし! 和気清麻呂はそれになびかず、九州の宇佐八幡に行き、「道鏡を追放せよ」というご神託を受け、天皇に報告するのであった。エライッ!

道鏡は激しく怒り、復讐に出る。清麻呂公の足の腱を切ったうえ、大隅国(鹿児島県)に流罪にし、清麻呂公が大隅国へ向かう途中、刺客を放つのである。しつこい道鏡の攻めに、立つことすらできなくなった清麻呂公――。
それでも、旅の途中、宇佐八幡へと参ろうとすると、ここで奇跡が!
どこからかワラワラと300頭(!!)のいのししが現れ、清麻呂公の輿(こし=乗り物)を囲み、道鏡の刺客たちから守りつつ、十里(約40km)道案内をしたのである!