「山で出会った人には挨拶をしよう」 筆者は高校時代、登山部の顧問の先生や先輩からそう教わった。これはマナーの話だけではない。遭難防止対策でもあるといわれたのだ。
山では人に遭遇する機会が少ないため、遭難者の目撃情報が集まりにくい。しかし、出会った人に挨拶をしておけば、相手の印象に残るため、目撃情報が上がりやすくなるというわけだ。
今回は、登山経験がまだ数年だった筆者の高校時代の話である。今は山で自然に挨拶ができる筆者だが、高校生の頃は人見知りで、知らない人に挨拶するのが嫌で仕方なかった。この話は、そんな筆者が山で挨拶を自然にできるようになったきっかけともいうべき体験談である。
■鬼ヶ谷林道(仮称)
高校への通学路は、近道である自宅のすぐ近くの鬼ヶ谷林道(仮称)を通っていた。鬼ヶ谷林道はすぐ脇に鬼ヶ谷池がある木のトンネルになっている未舗装林道だ。林道中間地点には筆者が犬の散歩でよく利用していた里山の登山口があった。ここには2~3台の駐車スペースがある。そしてこの部分だけ覆われた樹木が途切れており、鬼ヶ谷池を見渡せた。
秋が深まってくると、自宅に着く頃には日が暮れる。当時の自転車のライトは今のLEDに比べると圧倒的に暗く、夜の林道に入ると光が闇に吸い込まれてしまう。
ある晩、帰宅途中の筆者は鬼ヶ谷林道の登山口にある駐車スペースに差し掛かったときのこと。日中と同じくここには月明かりが届いて少し明るい。ふとそこに何か白くて細長いものがあることに気が付いた。前へ進むにつれ、それが人だと分かった。夜の林道でまさか人に会うとは思ってもいなかったため、驚いて急ブレーキで停車。
立っていたのは髪の長い30代くらいのやせ形の女性だった。裸足でなぜか白い襦袢(じゅばん)を着ている。明らかにおかしい。きっと見間違いだ、気のせいだと思って凝視してみるが、どう見ても人だった。
こんな時間にこんな場所でこんな格好をして立っているなんて尋常ではない。引き返そうかとも思ったが、振り返った時に見たくないものを見てしまったらどうしよう、という考えが頭をよぎった。とはいえ前進するなら女性の横を通り抜けなければならない。進退きわまれりとはまさにこのことだ。
しばらく思案した後、意を決して前へ進むことにした。女性に近づくほどに見間違いではなかったことがわかる。絶対に関わってはいけないおかしな人だ。ところが手が届くくらいまで近づいた時、女性はふっと筆者の目の前から消えた。