■山小屋らしさを守りつつ、最先端のテクノロジーも

 英雄の一人娘である恵は、大学卒業後に穂高岳山荘に入り、2011(平成23)年に26歳という若さで社長に就任する。入社以来、自らの得意分野であるITの知識を生かし、WEBサイトの立ち上げ、SNSによる情報発信、クレジットカード決済の導入、独自回線のフリーWi-Fiなど、山荘に新たなサービスや仕組みを取り入れてきた。山小屋のこれからのあり方をどのように見据えているのだろうか。

現在の穂高岳山荘。建物はもちろん、前庭テラスの石畳や石垣も整然として美しい《撮影:内田修》
山荘の前庭テラスで、ご来光を眺める登山者たち《撮影:内田修》

コロナ禍を経て、一番大きく変わったことは?

「オンライン予約システムを導入し、完全予約制になったことですね。実は事前予約制は、コロナ禍よりも前、山荘に入社したころからずっと考えていたことなんです」

なぜ事前予約制が必要だと?

「それまでの山小屋は、ハイシーズンで混雑すると1畳分のスペースに2人寝かせるなど、とにかくお客さんを詰め込んでいました。でも、夫は『それはありえない』と」

今田公基さん(以下、公基)「1畳に1人なら、まだわかります。でも、1畳に2人って、宿泊施設としてどうなのかと率直に思ったんです」

恵の夫・公基。登山の経験はなかったが、恵との結婚を機に山荘に入る

「夫は大学の同級生なのですが、それまで登山をまったくやってこなかった人で。だから、山の世界の“常識”や“当たり前”が通用せず、一般的な感覚でおかしいことは『おかしい』とはっきりと言ってくれるんです」

初めて山小屋に泊まる人の感じ方も、きっと公基さん寄りですよね。

「そうなんです。山や山小屋に慣れ親しんでいる私や従業員には当たり前のことでも、初めて泊まる人にとっては『何これ!?』とネガティブな印象を抱き、それが原因で『二度と泊まりたくない』という気持ちになってしまうかもしれません。夫の指摘はそうした改善点の気づきにつながるので、ありがたいですね」

これからの山小屋経営にはどんな課題が?

「先ほど建物やインフラの話をしましたが、それらをどう継承していくか。特に建物の老朽化の問題は今後さらに深刻になっていくと考えています。穂高岳山荘の現在の建物は、建てられてほぼ半世紀以上が過ぎています。これまでは部分的な修繕で何とか維持してきましたが、建築基準法や消防法の関係で全体の建て替えが不可能なんです」

公基「正確に言えば、現状に近いものを建てることはできます。しかし、現行の法律に従うと建築費用が莫大な額となり、その回収にたぶん100年以上かかってしまう。それでは事業として成り立たないですよね」

「夫は以前から、人口減少の影響についても指摘していました。日本の人口が減れば、登山者の数も少なくなります。そうなれば収益が減り、経営を維持することも難しくなるんじゃないかと。その対策の一つとして、今後ますます増えていくだろう訪日外国人をきちっと受け入れられる体制を整えていくことがあります。実際に対応するのは現場のスタッフたちなので、彼らが困らないような仕組みを考えつつ、海外からのお客さんを増やしていきたいですね」

建物の建て替えや外国人登山者の誘致については、個々の山小屋はもちろん、国立公園全体の課題かもしれませんね。

「私たち山小屋にとって心強いのは、近年、環境省さんの方でも国立公園の『保護』だけではなく、『利用』についても積極的に取り組んでくれていることです。私が山小屋に入るころまでは環境省さんのスタンスは保護の方が強かったんです。現在では、しっかりと保護したうえでいかに適正に利用するか、ということを強くおっしゃってくれていて」

正しい利用によって、国立公園の価値や魅力を広く発信していこう、と。

「大正時代に創業した山小屋は、北アルプスの“先住民”として、国立公園ができる前からこの山域に深く関わってきました。私たちにとっても保護と利用の両立は考えていかなければならない課題です。環境省さんも同じ方向を向いてくださっていると思うと、これから国立公園を一緒に盛り上げていけるんじゃないかとワクワクしています」

山荘で今後やってみたいことはありますか。

「昨年、穂高岳山荘のYouTubeチャンネルを立ち上げたのですが、今後可能であればライブ配信もやってみたいんです。ライブであれば、今この瞬間の穂高の風景や空気をより多くの人にお届けできるじゃないですか。これまで培ってきた山小屋らしさは守りながらも、随所にさりげなく最先端のテクノロジーが使われている。そんな山小屋がかっこいいなって、私としては思っているんです」

昨年(2023/令和5年)、穂高岳山荘公式YouTubeに公開された動画では、恵自身がナビゲーターを務めた
岐阜県飛騨市神岡町の穂高岳山荘事務所前にて