■歴史研究、山岳写真、トイレ…… 受け継がれる探求心
三寿雄と貞雄は、山小屋経営の一方で、槍ヶ岳を開山した播隆上人の研究をライフワークとしたことでも知られている。また、2人とも山岳写真家としても優れた腕前を持ち、特に貞雄は1985(昭和60)年の第一弾写真集『私の槍が岳』を皮切りに、数多くの写真集を出版してきた。穂苅家は代々、山の歴史を調査・研究して本としてまとめたり、写真を通じて山の美しさや魅力を多くの人に伝えたりして、登山文化の発展にも寄与してきたのである。
三寿雄さんと貞雄さんには、山小屋のオーナーのほかに、播隆上人の研究者や山岳写真家としての顔もあったんですよね。
大輔「うちの家系は代々、勉強熱心、探求心旺盛なところがあるようで。親子二代にわたって播隆研究や山岳写真に取り組んでいたんです」
3代目の康治さんも写真を?
大輔「父も撮ってはいましたが、自分は親父のようには撮れないとよく言ってました。父が最も情熱を傾けたのは山のトイレです。今でこそ環境配慮型のトイレは当たり前になっていますが、ひと昔前は垂れ流しだったじゃないですか。父はそれじゃいかんと、自分でいろいろと調べて、研究するようになったんです。まだ国の補助金などがなかった時代で、自費で何千万円というお金をかけたそうです」
「そうした研究の甲斐もあって、当時山岳トイレについては第一人者だと言われていました。今でも父のことが話題になると、山岳トイレと通信ネットワークのことは必ず出てきますね」
そんなお父様の後を継ぐべく、東京の通信会社にお勤めだった大輔さんが松本に戻ってきたのは2017(平成29)年。4代目になる決心を固めたきっかけは?
大輔「私は四人兄弟のいちばん下なのですが、父としては手を上げた人間にやってもらいたいということはかねてから言っていたんです。大学卒業後、私は8年ほど東京の企業で働いていました。経営企画部にいて、やりたかった仕事を任せてもらい、充実感はあったんです。ただ、30歳ぐらいになって、先の人生を考えたとき、『自分にしかできない仕事をしたい』という思いが強くなってきて。それで山小屋をやらせてほしいと父に伝えたんです」