■山に登り続けるのか、やめるのか
山に行くたびに生理になるということは、筆者をとてつもなく不安にさせた。生理になると患部が痛みだし、下腹部を切ったからか子宮頚部がパンパンに腫れて力も出なかった。
今まで精力的に登山や撮影を続けて来たけれど、身体を犠牲にしてまで趣味の登山を続けることは考え直す必要があるかもしれない。まだ娘は高校に通っているのに、ひとりしかいない親を亡くすことは酷だと思った。
手術から半年が過ぎた。この年のゴールデンウィークは自宅にいて悩んだりしたくなかったので、パートナーと山形県にある飯豊山(いいでさん)と、月山の麓に1泊ずつ宿を取り、「置賜さくら回廊」を見に行くことにした。
置賜さくら回廊に咲く桜はどれも古木の銘木揃いで、現在は朽ちてしまった「釜の越桜」が当時はまだ咲いていたのが特に印象的だった。長い年月を生きて樹勢の衰えた桜が細々と咲く姿を眺めて、ふと「人の一生と似ているな」と思った。そして急に、人だけでなく、動物だけでなく、生きるもの全てが最後は死ぬことを思い出した。
「そうだ。どうせ死ぬのだから、後悔しないように精一杯生きよう」
それから2週間後の5月中旬、筆者は大好きな北岳を見たくて入山した。山梨県南アルプス市夜叉神峠から、鳳凰三山の薬師岳まで日帰りで往復。標高差1,780m、距離約20㎞、道中半分は残雪がある中、無事歩けたことで回復に近づいた気がして、自信を取り戻した。
まだ残雪のある北岳から連なる白峰三山の眩しい姿を見て、おにぎりを食べコーヒーを飲んだ。そして、今までと同じように三脚を構えて写真を撮った。
帰りの長い道のりの中で「山行の都度生理になるから、ナプキンを沢山持っていかないとな」などと考えていた。気がつくと、すでに次の山行を描いていたのだ。
「こんな時だからこそ、後悔しないよう大好きな山に登り続けたい」。自分自身の中で、山に再び登ると決めたら、病気の心配よりも楽しみな気持ちが湧き上がってきた。
■そして、現在
あれから再発することなく10年が経った。東京から愛知県に引越し、地元の山岳会に入ったり、再婚したり、離婚したり。さらに会社をつくったりなど人生のステージが変化する中で色々なことがあったが、相変わらず現在も山に入り、写真を撮っている。
人生はいつか必ず終わることを、筆者は病気になって身をもって理解した。今後も病気になるリスクはあるし、そうなった時も「後悔しないように精一杯生きる」というスタイルは変えないつもりだ。もちろん適切な治療を受けたり、出血や症状に備えたりしたうえで山へと向かうだろう。
いつか死ぬとき、山に行って楽しかったなぁと思いながら死ぬかもしれないなと思うが、そう思えたら心底幸せだと思っている。