新年を迎えると多くの人が出向く初詣は、旧年の感謝を捧げて新しい年の安寧を祈願する季節の風物詩だ。せっかくなら格別のご利益を授かりたいと、遠出する人も多いのではないだろうか。
そんな人におすすめしたいのが、茨城県鹿嶋市に位置する鹿島神宮だ。東京からのアクセスもしやすい鹿島神宮はどんな神社なのか。今回はその歴史と共に、周辺の神社との関わりも交えて、境内の様子をご紹介する。
■鹿島神宮のルーツ
鹿島神宮は、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祭神としている。そのルーツは神話の時代にまで遡り、神武天皇が東征を果たすにあたって武甕槌大神の助けを受けたことに由来する。そして天皇即位の年にあたる皇紀元年、大神を鹿嶋の地に勅祭したことが鹿島神宮の始まりとなった。
武甕槌大神は名のある武神であることでも知られており、古くから数多くの武士が戦を前に参拝。源頼朝や徳川家康の尊崇を集めた。飛鳥時代には、朝鮮や中国からの守りを固めるために召集された東国の防人が、無事に故郷に戻れることを祈願しに参拝した話がある。この話に由来し、旅の安全を願って出発することを「鹿島立ち」と言う。
これらのことから、鹿島神宮は勝負事の神様と言われている。市内を本拠地にしているJリーグチームの鹿島アントラーズが必勝祈願に訪れているほか、数多くの人々が試験や仕事などの勝負事の前に参拝するようになった。
また、鹿島神宮は、近くにある香取神宮・息栖神社と合わせて、「東国三社」と称されて親しまれている。この三社を巡ることは大変な御利益が得られるとされ、篤い信仰を集めた。
■鹿島神宮の境内
参道を境内に向かうと、はじめに出迎えるのは杉の木を用いた大鳥居だ。境内に入ると、周りを囲う木々によって外界と隔てられたかのような神聖な雰囲気が漂う。神社が持つ厳かな空気を全身で感じられる。
鹿島神宮の楼門は日本三大楼門の一つに数えられ、重要文化財に指定されている。これをくぐれば、右手に拝殿と本殿が望める。日本では珍しい、北向きの本殿だ。
拝殿を後にし、参道をさらに東へと進む。深い森に包まれた奥参道へ入ると、頭上にまで木々の枝葉が伸びており、神様と自然の力を同時に受けているかのような感覚を覚える。
奥参道の左手には、武甕槌大神との関わりから神の使いと言われている鹿が飼育されている広場を望める。鹿島の鹿は、奈良の春日大社創建の際に神様の御分霊を背中に乗せてお遷ししたと伝えられている。
広場を後にして突き当たりまで行けば、奥宮の広場と二股に分かれた道に行き着く。奥宮は武甕槌大神の荒魂を祀っている社。こちらへの参拝も行った。
分かれ道を左に進むと、御手洗池のある広場にたどり着く。毎日40万リットルもの湧水が湧き出ていて、容器があれば汲んでいくことも可能。年始には有志の参加者が池に浸かって大祓詞(おおはらえのことば)を唱える、大寒禊(だいかんみそぎ)も行われる。脇には茶屋があり、みたらし団子などが頂ける。
先ほどの二股の分かれ道を右に行けば、要石を見ることができる。要石とは、香取神宮境内にもある霊石で、地中で地震を起こす大ナマズを鎮めるために差し込まれたという伝説が残っている。水戸黄門で知られる徳川光圀が石を掘らせたところ、7日かけても掘り出せなかったとのこと。