■徳川家康が合祀されている「松平東照宮」
松平郷第一駐車場の隣に「松平東照宮」がある。世界遺産である「日光東照宮」など「日光の社寺」と比べると、100分の1もない規模であろう。しかし、この「松平東照宮」には徳川家康と、松平氏初代の「松平親氏(ちかうじ)」公が合祀されている。
そして、敷地内には「産湯の井戸」がある。竹千代(後の家康)が誕生した際、この水を竹筒に入れ早馬で届けたと言われる。徳川家にとっては日光や、家康が遺命で自らの埋葬を命じた静岡の久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)と同様に意義のある場所なのでないだろうか。
■松平氏のさらに祖先
坂道を歩き、松平氏の菩提寺である「高月院(こうげついん)」に向かう。途中「在原氏の墓所」という看板がある。松平郷を開いたのは、「在原氏」を称する公家だったという。「昔、男ありけり」の冒頭句で知られる「伊勢物語」の主人公と言われる「在原業平(ありわらのなりひら)」の一族だ。康永年間(1342年-1345年)というから南北朝時代だ。
道路から離れ、半ば藪のような山道を分け入ったところに在原氏の墓があった。松平郷に住した在原信盛(中央)、二代信重(右)、その娘で松平親氏の妻・水姫(すいひめ)の墓所だ。