兵庫県川辺郡猪名川町(いながわちょう)は自然豊かな場所である。ここには古来より、摂津源氏や豊臣秀吉、江戸幕府、明治政府と時の権力者たちが管理してきた、多田銀銅山(ただぎんどうざん)が存在した。
実は多田銀銅山は京都から非常に近い。そのうえ、南側は清和源氏発祥の地である兵庫県川西市や宝塚市、北側は交通の要衝であった篠山市と接していたため、たいへん栄えていたらしい。
そんな「国史跡多田銀銅山遺跡」へ、遺跡ハイキングに出かけてみた。
■多田銀銅山悠久広場と多田銀銅山悠久の館
多田銀銅山遺跡は、猪名川の支流である野尻川上流にある。川沿いの道を進むとまず現れるのが、道を挟んで左右に並ぶ「多田銀銅山悠久広場」と「多田銀銅山悠久の館」だ。
多田銀銅山悠久広場は、明治時代に操業されていた「堀家精練所(ほりけせいれんしょ)」の跡地だ。レンガ造りの遺構がノスタルジックである。
多田銀銅山悠久の館は、猪名川町が営む多田銀銅山遺跡の博物館。入場料は無料だ。
鉱石についての詳しい説明がされているが、素人目にはどれも同じ石に見える。ただ素人でもすぐにわかるのが、明治時代に作られていたという独特の風合いが魅力の鍋型カラミとカラミレンガだ。カラミとは金属の精錬の過程で排出される非金属のカスのこと。これらは館内のあちこちで再利用されている。