日本標準時の町・兵庫県明石市。町には標準時を示す子午線(しごせん)のモニュメントがいくつかあるが、それらを繋ぐとなぜかまっすぐにならない。まさか標準時がいくつもあるはずもない。その謎を追って、子午線のある明石市の人丸山(ひとまるやま)へ向かった。

■子午線

 法令によると、日本の標準時とは「東経135度の子午線の時」と定められている。

 子午線が通る明石の町に最初の子午線標柱が建ったのは明治43年のこと。その後、基準にした東京天文台の経度が大きくずれていることが判明し、昭和3年、明石での1ヵ月の天文測量を元に、標柱を103m東の現在地に移動させた。

最初に建った子午線標柱(明治43年)

 昭和5年には、子午線上の人丸山にもトンボの乗ったデザインの標柱が建った。

人丸山上の子午線標柱(昭和5年)

 さらに昭和8年には、国道2号線上にも標柱が建てられた。

国道2号線上の子午線標柱(昭和8年)

 戦後、空襲で損傷したトンボの標柱を修復する際、再び行った天文測量の結果、また子午線がずれていることが判明し、昭和31年、11.1m東に再建した。しかし明治43年の標柱、昭和8年の標柱は移動させなかったため、11.1mずれたままだ。

駐車場に引かれた正しい子午線(左)と昭和8年の標柱(右)の11.1mのズレ

 昭和35年、新たに人丸山上に市立天文科学館が建ち、高くそびえる54mの展望塔自体が子午線の標柱となっている。

明石市立天文科学館

 天文測量で求める東経135度(標準時子午線)は、測量の度に東西へ動いたが、今はこの天文科学館の建つ位置で落ち着いている。一方で地図上の東経135度は別の方法で求められており、東京を基準に地上測量で求めた「日本測地系」の東経135度や、地球の中心を基準に求めた「世界測地系」の東経135度は、いずれも標準時の子午線とは異なる場所を通る。これが東経135度の子午線が3本ある真相だ。

標準時子午線の変遷と3本ある東経135度(青線)