■周辺の鉱山遺跡を巡る

多田銀銅山遺跡内で立入禁止の大露頭は学術的にも貴重らしい
鉱山跡なので遊歩道以外に立ち入るのは危険だ
台所間歩は今にも崩落しそうな坑道である

 さて、青木間歩から出た後は、道標に従い野尻川上流に進んでいく。周辺の鉱山遺跡を巡るのは、ちょっとしたハイキングだ。

 鉱山遺跡の中に台所間歩という変わった名前の坑道がある。案内板によると、「豊臣秀吉の在城する大坂城(現大阪城)の台所(財政)を潤すほどに栄えた」ことにちなんでいるらしい。

多田銀銅山遺跡瓢箪間歩。豊臣秀吉が馬に乗って中に入ったらしい

 また、その奥にある瓢箪間歩(ひょうたんまぶ)は、「山先(鉱山技師)の原丹波、原淡路親子がこの鉱脈を発見し、ほうびとして豊臣秀吉の馬印である千成瓢箪の馬印を与えられ入口に掲げた……」ことにちなむようで、「検分に来た豊臣秀吉が馬上のまま坑内に入った……」というから驚きだ。

多田銀銅山遺跡群の中にある山中鹿之助一族の墓があった久徳寺跡

 なお、台所間歩と瓢箪間歩の間に「久徳寺跡(きゅうとくじあと)」という道標がある。川を挟んだ向こうで渡れないが、地面が平らになっており、かつて建物があったことは想像できる。実はここには山中鹿之助一族の墓があったらしいのだが、今ではその跡形も残っていない。

多田銀銅山遺跡付近の道標はわかりやすいため、迷うことはないだろう
多田銀銅山遺跡付近は荒れた道でもこの程度なので歩きやすい

 多田銀銅山悠久の館から一番奥の瓢箪間歩までの間に、東屋やベンチなどの休憩スポットは一切ない。しかしながらきつい登坂もない片道約2.5kmの道程である。あまり心配することもないだろう。