日帰りで気楽に山を歩こう! 山をこよなく愛する人気女優・釈由美子さん(43)をガイド役に迎え、初心者のための日帰りから始める、"山歩き"のハウツーをお届けしたい。最後は釈さんへのインタビュー。山への熱い思いを語ってくれた。
【PART5】
■幼少時より山に登っていた彼女が山から離れた理由
●釈さんの山キャリアの原点は幼少時にある
「保育園の頃から、父に連れられて、いろいろな山に登っていました。記憶がある最初の山は富士山(3776m)です。私は高山病になって八合目あたりでリタイアして、幼いなりに悔しい思いをしました。でも、次の年は山頂まで登ったのです。それから、家が多摩の方に割と近かったので、そちらの山にもよく登っていましたね。その経験があったので、高校の修学旅行が富士山だったんですが、友達のなかでは私がぶっちぎりでみんなより先に登ったのをよく覚えています」
なんと、お父さんの影響で幼い頃から3000m峰に登頂していたのだ。しかし、成長するとともに山から遠のいてしまう。
「高校2年の頃に、家族で立山(3015m)に登ったのが最後でした。私が大学に進学し、その後、芸能界に入ってからは長い間、山から離れていたんです」。1997年に短大在学中に 『週刊ヤングマガジン』(講談社)の「Missキャンパスグランプリ」に選ばれて芸能界入り。1998年1月からTBS系深夜番組『ワンダフル』にレギュラー出演し人気が上昇して以降、怒涛のスケジュールをこなすことになる彼女は山とは疎遠になってしまったのだ。そんな釈さんが、再び山にハマったきっかけはなんだろうか?
「2013年に『実践!にっぽん百名山』という番組(NHK BS1)のMCを担当させてもらってからです。ただ、番組がきっかけで、初めてプライベートで白山(2702m)に登ったときは、下山のときに"もう二度と登りたくない"と思うほどに、膝が痛くなったんです。でも、番組を続けていくうちに、だんだん山の魅力に引き寄せられていき、その頃、定年後に元気をなくしていた父を誘って、また山に登るようになりました。父も喜んで、短期間で一緒に富士山(3776m)、奥穂高岳(3190m)、立山(3015m)など、いろいろな山に登りましたね。父は、それから間もなくしてがんで亡くなってしまったのですが、最後に親孝行ができたかなと思っています」
短い時間だったが、釈さんは山を通じて父娘の関係をさらに深めたのだった。「亡くなった直後は、慰霊登山として、一緒に登れなかった北アルプスの燕岳(2762m)に登りました。そのときは、父が隣にいるように思えましたね。父は富士山が大好きだったので、今でも遠くから富士山に、"お父さん"と声をかけることもあるんです」
●山歩きの際はほぼスッピン! 山小屋では雑魚寝が当たり前
いつの間か山は彼女の人生に、なくてはならないものになったという。「不思議なもので山では山小屋で知らない人が隣に寝ていても抵抗がないんですよね。お風呂に入れなくても平気です。最初の頃は見てくれを気にして、化粧道具一式を持ち歩いていたのですが、装備は軽いほうがいいので、今は持っていかなくなりました」。自分ではない誰かを演じることが仕事である女優にとって、山は"素"でいられる場所なのだろう。そんな釈さんに、特に好きな山を3つ挙げてもらった。
「八ヶ岳、奥穂高岳……それから立山ですかね。八ヶ岳では、樹林帯を歩いていく北八ヶ岳が好きですね。苔生した空間の独特の匂いが心地よく感じます。凄く気持ちがいいです。それから、奥穂は岩稜帯もあり北アルプスのなかでも足がすくむ思いもする山なのですが、途中の涸沢からそこからそびえ立つ奥穂の雄々しさが素晴らしい。あの風格が好きなんですよね。立山は、富士山の次に家族の思い出がある山です。息子を連れて行ったこともあるのですが、そのときは懐かしさがこみ上げてきました」
山ガールだった釈さんは山ママになり、今はまだ小さい息子さんが山歩きのパートナーを務めることもある。「父が私にしてくれたように、私も息子に自然の魅力を伝えようと取り組んでいます。今はコロナで、なかなか難しいのですが、母子で一緒に山歩きをすることもあります。そして、いつか、成長した息子が巣立っていき、私もお婆ちゃんと呼ばれる年齢になるでしょう。そうなっても、山には登り続けたいと思っています」。