■海部川との出会い
2005年、まだ海陽町ではなく海部町だった頃(翌年の3月に海南町、海部町、宍喰町が合併して海陽町が発足した)に僕はこの川を訪れている。
当時はネット上に海部川の情報はほとんど出ていなかったが、どこかで「人に教えたくない真の清流」という魅力的な一文を目しに、それだけを頼りに現地に飛んで行ったのだ。とにかく情報不足だったため、早めに行って発着地点や危険箇所を入念に下見をし、バス停の場所と時刻表を現地調査することから始まった。カーナビも貧弱だったため、細い農道に入り込んで身動き取れなくなることがあったが、畑にいたおばあちゃんがダッシュで僕の方にきてくれて見事な誘導で脱出させてくれた。そのおばあちゃんと談笑しつつ、周辺の情報を聞いたりもした。
僕の旅にはハプニングがつきものだ。しかし、それが結果的に思わぬ出会いを生むのだから、ポカも意外と悪くはないのだ。
また、野営していた川原ではお散歩中のおばあちゃんに話しかけられ、海部川の話を中心に盛り上がった(でも方言がキツくて半分も理解できず……)。そのおばあちゃんがおすすめの滝があるというので距離を聞いてみたら、「ここから3里上流じゃ」と言われて衝撃が走った。この現代に於いて、“里”という単位が日常会話に出てくる場所にいることに、なんともいえない妙な興奮を覚えた。
海部川を下りながら目にした光景の美しさには、ため息しか出なかったのを記憶している。開発から逃れ、今でも“里”という単位が残る地域だからこそ維持された清流の世界。
流域の人と話した後だからこそ、その美しさはさらに深く僕に突き刺さった。
回送のために乗ったバスでは、乗客が僕1人だったこともあり、運転手のおじいちゃんが気さくに話しかけてきてくれた。
川の美しさを褒めると、自分が誉められたかのように照れる姿が印象的だった。運転手は夕刊配達員も兼ねているのか、各家の前に夕刊を投げ込みながらバスを走らせる。やがてバス停の場所関係なく、僕の希望する場所に直接降ろしてくれた。
そんなちょっとしたことが嬉しく、僕はこの川とこの川の流域のことがさらに好きになった。
川の美しさはもちろんのこと、なんというかこの地域の人たちは「人に関心が高く、親切を当たり前のものと感じている」という印象を受けた。みんな穏やかで、それでいて芯の部分に強さも感じた。他の地域とは何かが違うなぁ、と思っていたが、数年後にそのことに納得する本に出会うことになる。