■とても上品でおしゃれな御社殿にびっくり

 湊川神社に着き空を見上げると、何やら落っこちてきそうな曇天である(泣)。まあいい。それもまた風流といえば風流。

 しかし湊川神社って、美しいのね。さすが神戸、佇まいがオシャレである。緑が豊かで、鳥居も大きくシュッとしている。御社殿なんて、クリーム色の外観から、ハイソサエティかつエレガントさを感じるではないか。イメージで言うと、山の手のお嬢さまっぽい。

御社殿。美しい……! 明治5年創建当時の御社殿は神戸空襲によって焼失。現在の御社殿は昭和27年に再建されたもので鉄筋コンクリート造り

 山の手のお嬢さまっぽいイメージと言ってしまったが、主祭神はバリバリの武将、南北朝時代に活躍した楠木正成公である。ご利益も、正成公の御盛徳に由縁した、除災招福・開運厄除・家内安全・情報業、流通業繁栄・夫婦円満。神戸っ子には「なんこうさん」と親しまれ、正月には全国から100万人が訪れるのだとか。

境内にある脇道にある末社、楠木稲荷神社

 湊川神社の公式サイトを読むと、楠木正成は、智・仁・勇の三徳を備え聖人と仰がれたほどの名将だったという。「そんな偉い人だったのか」と驚いてしまった。知らなかった……!

 興味が湧いて、神社のベンチに座り正成公についてググる。なになに、幕府を打ち倒そうとする後醍醐天皇が、ある日こんな夢を見たところから始まる。

 二人の童子が南向きに枝が伸びた大きな木の下の玉座を指し、「後醍醐天皇のための席だ」と告げたというもの。

 天皇はこの夢から、「南」にある「木」=楠(くすのき)。楠木こそ、わが力になる人物の名だ、と悟り、楠木正成を家臣に取り立てるのである。

楠木正成像(楠妣庵観音寺蔵、伝・狩野山楽画)。夢のお告げをきっかけにお声がかかるなんて、正成公もびっくりしたことだろう

 後醍醐天皇に取り立てられた楠木正成は忠義を尽くす。

 しかし、後醍醐天皇が進めた政策に不満を抱えていた男がいた。足利尊氏である。彼は反旗を翻し、ついに戦いが始まってしまう。そして、楠木正成は延元元年(1336)、湊川の戦いにて足利軍に破れ、自刃してしまうのだった。

向かって左の騎馬武者像が、私が社会の教科書で教えられた足利尊氏なのだが、近年では別人説が浮上。足利家の家臣「高師直」か高師直の子「高師詮」の可能性が高いという。が、今さら違う人と言われても、もうこのイメージで脳に刷り込まれてるのよ(泣)。向かって右は、絹本著色伝足利尊氏像(浄土寺蔵)