■「秋の日暮れ」気が付くとあたりは薄暗く……
「秋のつるべ落とし」といわれるように秋の日暮れは早い。特に山では太陽が山陰に入るとロウソクの火が消えたように急にあたりが暗くなる。
気付いた時には、あたりが薄暗くなっていた。まだお互いの顔がおぼろげに分かったが、すぐに真っ暗になるのは容易に想像できた。山の中で明かりも持たず、闇に包まれるのは大人でも恐ろしい。子どもであればなおさらである。何かが後ろから迫ってくるかのような恐怖を背中に感じながら、走って引き返し始めた。
しかしながら獣道のかなり奥まで入り込んでいたため、暗くなると帰路が分からなくなる。今振り返ると、よく遊んでいる山なので、知り尽くしているという慢心もあったと思う。道に迷ったらしく、いつもの山道になかなか戻れない。
ともあれ走っているうちに、運よくいつもの山道まで戻ることができた。あたりはほぼ真っ暗になっていたが、そこからは勝手知ったる山道。走りに走って、やっとワダツミ神社の裏にたどり着いた。
神社の境内に入ると、オレンジ色の光に目がくらんだ。アケビ採りで分け入った森は山陰で暗くなっていたのだが、神社のあたりはまだ夕焼けであった。それを見て一気に緊張がゆるみ、神社の狛犬の前でへなへなと座り込んでしまったのである。
しばらく座っていると息も整ってきて、心に余裕が戻ってきた。神社から自宅までは迷うことのない砂利の一本道だ。そして暗くなるまでにはもう少しある。筆者と友人は、採ったアケビを分け始めた。その時だった。
「おい!」
背後から野太い声で怒鳴られた。筆者は振り返ったが、夕日に照らされた社があるだけで、誰もいない。そして上からの視線を感じ、見上げて凍り付いた。
なんとそこには目玉だけ生目の狛犬が、目をむいてこちらを見下ろしていたのである。友人も狛犬に気付いて固まっていた。金縛りにでもあったかのように、動けないし、目もそらせない。
突然、狛犬の目がギロっと動いた。その瞬間、どちらが先かわからない叫び声を合図に、金縛り状態から解放され、転げるように駆けて自宅に逃げ帰った。その晩は誰にもそのことを話せなかった。なお苦労して採ったアケビは持って帰ったのか、神社に置いてきたのかはもう覚えていない。
翌日、学校帰りに友人と再びワダツミ神社を訪れた。正直怖かったのだが、昨日のことは夢か誠か、知りたいという好奇心が勝ってしまったのである。
神社に着いた筆者は、恐る恐る狛犬をのぞき込んだ。すると狛犬の目玉は石であった。全身石の狛犬である。当たり前といえば当たり前だ。では、昨日見た生目の狛犬は一体何だったのだろうか。
このワダツミ神社は江戸時代前期には海神の役割を終えている。しかしながらその後も300年以上、土地の守り神として地域を見守り続けてきた。そんな神様だからこそ、子どもたちに「早く帰れよ」と声をかけたのではないか。子ども心に怖い体験ではあったが、今思えば心温まる出来事であったと感じている。