■戦争要塞1:御殿山第二砲台跡

御殿山第二砲台跡の砲座周辺はきれいに痕跡が残っている

 函館山は昔、全山が立ち入り禁止となっていた歴史がある。函館山には、1902年(明治35年)に対露津軽海峡防衛を目的とした戦争要塞が築造されており、その機密を守るために長らく一般の人々が立ち入れなかったのだ。その歴史が功を奏してか、函館山には長らく手付かずだった豊かな自然が今も残り、貴重な生態系も維持されている。

 函館山に残る戦争要塞跡の中でも最もアクセスしやすいのが、千畳敷コース入り口すぐのところにある「御殿山第二砲台跡」だ。つつじ山駐車場の奥にあるゲートを入ってすぐに狭い階段道があり、そこから御殿山第二砲台跡へ直行できる。

御殿山第二砲台跡の草が生えている円は、かつて砲台が置いてあった砲座の痕跡

 御殿山第二砲台は、1898年(明治31年)9月に起工し、函館要塞は当時のロシア帝国を仮想敵国として築造されたが、実際に要塞完成後ほどなくして日露戦争【1904年(明治37年)2月8日〜1905年(明治38年)9月5日】を迎えている。

 その後、大正期の要塞整理の際に廃止となったものの、昭和期に入って演習砲台として残置された。今では砲台入り口のトンネル・貯水所・地下掩蔽部・地下砲側庫などは倒壊や劣化等の危険性があるため入ることはできないが、全部で3つある砲座近辺はきれいに残され間近で遺構を見学可能だ。

御殿山第二砲台跡の地下施設は柵があり立ち入れない

 御殿山第二砲台跡では、歴史を知らなくてもまるでジブリ作品の中にいるような、自然に飲み込まれつつある人工物の醸し出す独特な雰囲気が楽しめる。砲座部分の石畳は比較的きれいで広々としており歩きやすく、砲床の部分は丸く草が生い茂っており、整備された庭園のような趣がある。

 なお、砲台跡の奥には階段があり、上ると東屋が設けられた小さな公園のような開けた場所となっている。ここは高台となっていて、かつては観測所があった場所だ。ここからも、津軽海峡や函館市街が遠くに見下ろせる。

御殿山第二砲台跡の左翼観測所があった高台には東屋がある

■千畳敷コースを歩いて「牛の背見晴所」へ

牛の背山からの景色が見渡せる場所には「牛の背見晴所」の看板がある

 東屋のある場所から少し戻って別の分岐を行くと、登山コースへ合流できる。ここから、つつじ山をぐるりと回るように登山道が続くのでしばらく歩いてみよう。未舗装路ではあるものの、きれいに整備された登山道はとても歩きやすい。

 函館山は、牛が寝そべったような形をしていることから、「臥牛山(がぎゅうざん)」とも呼ばれているが、ちょうどその牛の背中部分には、その名の通り「牛の背山」という山があり、登山道の途中に見晴所が設けられている。ここが「牛の背見晴所」だが、ここからも函館市街地を見下ろせる。

 半分は山に遮られているものの、函館山に向かってくびれたような形状になっている函館市街地の南半分も見渡せる。

「牛の背見晴所」からは函館市街の大森浜沿い側の景色が見える