■大正時代の姿をいまに伝える高師浜駅
高架線路の下は遊歩道になっていて、左方向に湾曲しながら高師浜駅を目指す。
駅に到着する前に鎮座しているのが高石神社だ。
創建の詳細は不明だが、650年には現在の地にあると伝わり、平安時代に編まれた「延喜式」にも高石神社として記されているという。
高石神社の境内に隣接するのが高師浜駅。この駅の壁面にも、伽羅橋駅と同じくHAGOROMO MURALSのアートが描かれていた。
高師浜駅は1919年に開業。当時の姿をいまに伝える洋風建築で、入り口上の窓に施されたステンドグラスが特徴だ。
このモダンな駅舎は、1970年の高架化のときに解体・改築が検討されている。しかし、地元住民の強い要望もあって、駅舎の存続が決まる。今回の工事でエレベーターと多機能トイレが設置されるなどリニューアルはされたものの、外観など基本的な部分は往時のままである。
■埋め立て工事から逃れた砂浜海岸
お屋敷街、別荘地という雰囲気は薄れたものの、高師浜駅界隈は閑静な住宅地だ。そのなかを抜けて海側に進むと漁港がある。高石漁港だ。
高師浜や浜寺公園の海岸は「白砂青松」と称された名勝地で、多くの海水浴客でもにぎわった砂浜だった。だが、1960年代から70年代にかけて堺泉北工業地帯が造成されると、海岸は埋め立てられてしまう。その工業地帯とかつての海岸線の間に残されたのが、内海である浜寺水路。高石漁港は、この浜寺水路に位置している。
つまり、砂浜は完全に埋め立てられてしまった――と、個人的には思っていた。しかし、高石漁港近辺を歩いていると、思わぬものを発見。小さな規模ながらも、砂浜が残されていたのだ。
砂浜は「高師浜の砂浜」と呼ばれ、規模は約50m程度。完全な自然海岸ではないというが、それでも当時の面影がしのばれる。
高師浜沿線は、そのほとんどが住宅街だ。繁華街があるわけでのないし、多くの観光客を呼び寄せるような特別な名所もない。言い方を変えると、「ごくありきたりな日常の風景」が広がっているだけだ。
とはいえ、小さな町を走る小さな路線で、普段とはちょっとだけ違った日常を感じてみる。いつもとは少しだけ違う散歩気分を味わう。
1.4kmという道のりは、そんな気分を実感するのに、ちょうどいい距離かも知れない。
―つづく―