■低湿地帯の名残である木幡池
さて、観月橋駅から宇治川に沿って通じていた宇治線は、桃山南口に至る前に宇治川からは離れてしまう。宇治線は六地蔵駅まで東進し、その後に南下。終点の宇治駅で、ふたたび宇治川に接近するというコースを取る。
なお、京都から南下してきたJR奈良線も、桃山駅から東に路線が湾曲し、宇治線と並行して進んでいく。
伏見区から宇治市に入って、六地蔵駅の次は木幡(こわた)駅。現在でこそマンションや戸建て住宅の立ち並ぶ界隈だが、かつての一帯は低地の湿地帯だった。1933年から41年にかけて行なわれた干拓事業で姿を消すまで、「巨椋池(おぐらいけ)」という巨大な池もあり、大雨などによってたびたび洪水も起きている。
巨椋池は埋め立てられて農地となり、いまは大阪や京都のベッドタウンとして開発されているが、当時の名残を伝えているのが駅から約300メートル西にある「木幡池」だ。
木幡池から宇治線の線路を越え、JRの線路に着くまでに道路を左折すれば、「許波多(こはた)神社」の参道にたどり着く。
創建は645年。壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)が戦勝を祈願したと伝えられる。本殿横の「お休み石」は皇子が腰をかけた石とされ、ここに座って祈願すれば勝運がもたらされるらしい。スポーツやゲームなど、勝ち負けの世界に縁のある人は、ぜひお試しを。