■峠の急坂を登る機関車に電力を供給した「旧丸山変電所」
蒸気機関車によるトンネル内の煙の充満解消と輸送力アップを図り、碓氷線は明治45年に電化された。登りに差し掛かる電気機関車に、麓の火力発電所の電力を供給するため造られたのが「旧丸山変電所」だ。ここで働く人のための宿舎や駅もあり、時速8~9kmで走行する列車にジャンプして乗降することもあったという。国の重要文化財指定を受けている。
旧丸山変電所を過ぎるとアプト式の始まりを示す標識やレンガ造りの第1橋梁などが現れ、峠越えへと歩みを進めていく。
■「峠の湯」でランチのあとは、いよいよ立入禁止の廃線跡エリアへ
歩き始めから約1時間で「峠の湯」に到着するとランチタイム。参加者に配られるのはもちろん「おぎのや」謹製『峠の釜めし』だ。長い峠越えに携行しても冷めにくく、見た目の彩りにも工夫を重ねた「駅弁」のパイオニアといえる、横川の名物だ。
この先はアプトの道をはずれ、一般には立ち入りが禁止されている廃線跡へと分け入る。しっかり腹ごしらえしよう。
■廃線跡を歩くにあたり気をつけたいこと
廃線跡を歩く際、足をどこに置けばよいか。たいていは敷石ではなく安定感のある枕木を踏んでいくことになるだろう。ただこれが結構クセもので、自分の歩幅で歩けないので慣れるまでは足元を見て神経を使う。また、緩やかな傾斜が最後まで続くので、地味に疲れがたまる。
碓氷峠の傾斜は最大66.7パーミル。パーミルというのは1000メートル進んだときの標高の変化。1km歩いて約67m標高が上がる(下がる)ことは登山やハイキングでは珍しいことではないが、ほとんど一定の坂道がずっと続くと、どうしても脚の同じところを使うことになってしまうのだ。
なお、列車にとってはもっと深刻で、重量のある車両を引いて何キロも坂を登り続けるには大変な力が必要だった。仮に自転車をこいで何キロも坂道を登ることを想像すると、そのキツさが分かるだろう。
そして下る際には、倒木や動物の飛び出しがあっても急には止まれないので、運転手は前方に気を付け、常に緊張を強いられたという。碓氷線の元運転手を祖父に持つ、ガイドの上原将太さんならではのエピソードが印象に残る。
というわけでシューズは、クッションとグリップの効く、ウォーキングかトレッキング用のものを履くとよいだろう。時期によってはヤマビルが発生するので、ズボンのすそを靴下に入れ込むことも想定しておくとよい。
また、電気の通らないトンネル内は当然だが暗い。イベントの参加にはライトの携帯が必須だが、両手が使えるヘッドライトのほうが何かと都合がいいだろう。トンネル内は気温が低く、峠の天候は変わりやすいので、撥水加工がされたサッと羽織れるものもあると安心だ。
「上り」「下り」コースともに5時間近く、ほぼ一定の勾配を歩くことをイメージして臨みたい。